政略夫婦の愛滾る情夜~冷徹御曹司は独占欲に火を灯す~
 さんざん泣いたせいか気も済んだ。

 辞めるんだから、もうどうでもいい。
 あんなふうに怖い人だってわかっていたんだもの。ショックを受けるなんて私もどうかしてる。

 席に戻って退職願を書こうと、深呼吸をした。

 スーハーと繰り返すうち、ふと脳裏に浮かんだ、飲み残しのコーヒー。

 口に合わなかったとは……。

『不味いコーヒーを毎日毎日我慢して飲んでいるんだぞ、俺は。 書類だって? そんな大事な物を任せて、これ以上俺に何を我慢しろっていうんだ!』

 言い方は酷いし理不尽だと思うけれど、専務は間違っていない。

 一事が万事と、速水部長に散々言われてきた。一枚のコピーとりでも気を抜かないように。軽んじて曲がったままの印刷物を提出すれば、それで全てを評価されてしまうんだと厳しく指導された。

 それなのに、教えを無駄にしてしまった。

 ひと言聞けばよかった。コーヒーがお嫌いですかとか、聞いてさえいればそれで済んだかもしれない。秘書たるもの上司に言われる前に気づくべきだったのだ。

 それをできなかった私も悪い。
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