花筏に沈む恋とぬいぐるみ




 顔についた水滴を手で拭いながら目を凝らす。
 すると、それがメッセージだという事がわかった。腕にメッセージを掛ける自分物など一人しかいない。

 凛はすぐに自分の腕を顔の近くへと持ってくる。


 『25年間ありがとう!花浜匙をよろしく。あと、花ちゃんを幸せにしてあげてね』


 そう、それは雅が残した文字であった。
 凛の体を使って、凛だけに残した、短いけど彼が1番伝えたかった言葉。


 「………人の体に勝手に書くなよ」


 そんな愚痴をこぼしながらも、笑みがこぼれて明るい声が発せられる。大切な人からの言葉が残されていたのだ。嬉しいに決まっている。

 濡れた手で、その文字に触れる。
 彼が残したメッセージ。
 雅は、凛に店も夢も、そして花を託したのだ。



 花と出会って数日後。
 雅は、突然凛に変な質問を投げかけてきた。それを、凛は思い出す。


 「凛って花ちゃんの事、好きなの?」
 「何言ってんだ、早く仕事しろ。時間ないだろ?」
 「えー、花ちゃん可愛いよね。年下だけどしっかりしてるし、テディベア好きみたいだし。笑った顔とか、ドキッとしないの?」
 「雅はするのか?」


 この時は焦りしかなくて、花をそんな目で見る事はなかった。けれど、雅は違ったのだろう。
 頬を少し赤くして、この2人ではなかなかしなかった恋愛話を嬉しそうに話していた。


 「花ちゃんと出会うのがもうちょっと早かったら、俺達ライバルだったかもしれないね」


 と、凛の気持ちなどおかまになしにそんな事を言っていた。
 凛は「……そんなはずないだろ」とその話をさっさと切り替えてしまった。


 けれど、雅は気づいていたのだろう。
 花に対する凛の気持ちが少しずつ柔らかなものになり、変わっていった事に。
 そして、自分の言った事が正しかった、と。


 「花の気持ち次第だろうけど。まあ、ゆっくり頑張るさ」


 油性ペンで書かれた落書きのようなメッセージ。
 すぐに消える事はないだろう。けれど、凛はしばらくの間、その左手を撫でる触れ、水に濡れないように大切に包みながら、凛はそう呟いたのだった。



 

 
 
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