桜の咲き乱れる月夜に
「千代」

 私の名前を呼ぶその声はどこか懐かしい声。

「千代、こんな所で寝ると…」

そう言うと声の主は私の身体をいとも簡単に抱き上げ、ゆっくりと歩いている。

目を開けようと思っても開けられない。

そうだ。
思い出した。

私は一人で庭に出て、月を見ていた。
桜の花びらがゆらりと舞い降りるのを見ていた。
本当はあのお方と見たかったのに何やら先日より雲行きが怪しい。
近々、戦いがあるとの事で急遽父上様と話をするから先に寝なさいって。

…でも、こんなに綺麗な月と花を見逃すわけにはいかない。
空を見上げていたら途中首が痛くなり、誰も縁側にいない事を確認して横になりながら見ていた。

見ていたら、寝た。

私の母上が見たら大層お怒りになるだろうけれどもう私はこの家の人間だからこんな姿を見る事はない。
ああ、でも私の本当の父上は来る。
この家に仕えているから。



遠くで何やら声がしたと思った。



「千代!」

父上様の声が聞こえる。
本当の父上ではなく、ここの家の主。
あの方の父上。
足音が慌ただしい。

「病か?」

父上様の慌てぶりが酷い。

「大丈夫です。
千代と今日の月があまりにも美しいので夜桜を見る約束をしていました」

クスッ、と笑みが溢れる音が聞こえる。

「また明日にでも見る事に致します」

そして私の側にそっと跪く。

あの方の着物に付いた香りがフワリと私の鼻腔をくすぐる。

目を開けて一緒に桜を…!
そう思うのに私の目は開かない。
そして私は抱き抱えられて部屋に連れて行かれた。

そう、この声。
ずーっと聞きたかったこの声。

涙が出そうになる。

「体を冷やしてはいけないよ、千代。
私にとっては千代が唯一の存在。
そしてお腹の子も大切だから」

あ、そうか。
そうだった。
気持ち悪くなって横になったのもある。

廊下をゆっくりと歩いてくださって、私の体が揺れないように。

少しだけ揺れるのが心地良かった。

ずっとこれが続けば良いのに。
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