僕と未来
 新しい街に越してきた。期待に胸を膨らませるなんてことはそれほどないけれど、懐かしい雰囲気の街並みには親しみを感じた。幼い頃に住んでいた町に、似ているのかもしれない。

 駅前は、とても賑やかだった。改札を抜けてすぐにはたくさんの店が並んでいた。よく聞く有名な名前のスーパーに、大きなドラッグストア。百円ショップもある。この辺りの角を曲がれば、きっとコンビニだってあるだろう。弾むように曲がり角へ向かっていき首を伸ばすと、馴染み深いコンビニが目についた。

 ほら、やっぱり。

 ここのプライベートレーベルには、僕の好きなスナック菓子があるんだ。あとで買って帰ろう。
 これだけ便利な店が揃っていれば、一人で暮らすには充分だな。少し先には、ホームセンターの大きな看板も見えるから、カーテンや寝具類を購入するのにも便利だ。

 新しい街をあちこちフラフラと散策していたら、突然女の子に声をかけられた。

「ねぇ、君。喉乾いてない?」

 僕に話しかけてきたのは、可愛らしいと綺麗が混在したような女性だった。彼女は、満面の笑みで僕のことを見ている。

 ショートカットのヘアスタイルは、髪の色素が薄くてサラサラと触り心地が良さそうだ。唇には、桜色のリップが塗られていて艶々している。ふんわりしたスカイブルーのスカートが、春先の雰囲気をふんだんにまとい、彼女によく似合っていた。薄いカーディガンから覗く手首は、細くて白い。手を握ったら、華奢で折れてしまうだろうと思えた。清楚な雰囲気の洋服を着ているというのに、大きな瞳には少しだけ勝ち気さがあって明るく元気なイメージが浮かんだ。彼女が弾けるように笑ったら、僕はつられて笑ってしまうような気がする。
 要するに、僕のドストライク。

「私。今、とっても喉が渇いてるんだ。君、付き合ってよ」

 僕はナンパをしたことはないけれど、女の子の方からこうして声をかけられたこともない。だから、ちょっと驚いてすぐに言葉が出なかった。唖然として何も言わずに動きを止めてしまった僕を見て、彼女は口の端をキュッと持ち上げ笑う。そうして、僕の袖を引きグイグイと歩き出す。

 有無も言わさずとはこのことか。けれど、断る理由よりも彼女とお茶をする自分の姿が先に浮かんで、袖を掴む手を振り解こうなんてことは一ミリも考えなかった。寧ろ、二つ返事と言うものだ。

 突然声をかけてきた見ず知らずの彼女は、アーモンド型の瞳を好意的に僕へと向けて、さっき折れてしまいそうだと思った白い手で僕の袖を握ったまま、迷うことなく少し先にあったカフェへと誘導した。

 彼女に連行されるようにして歩いた先には、馴染みやすい雰囲気のカフェがあった。明るい店内は木目を基調としていて、大きな窓ガラスからは春の日差しが降り注いでいた。
 僕たちはどちらが何か言うでもなく、自然と窓辺の席に行き向かい合って座った。まるで、そこが僕たちの座る場所だというように、陽の光は包み込むように照らしている。

「お決まりですか?」

 メニューを訊きに来た若い店員の男性は、僕たちが常連のように人懐っこい笑みを向け訊ねる。

「僕はコーヒーで、彼女にはアイスティーを」

 気がつけば、スルスルと口から言葉がもれていた。若い店員は、いつものですね。と言うように、やっぱり人懐っこい笑みを向けてから下がっていった。

 店員がテーブルを離れてからすぐ、勝手にメニューを決めてしまったことを謝ろうと目の前に座る彼女を見たら、ありがとうって小さく呟いた。どうやら、アイスティーで正解だったようだ。
 けれど僕は、彼女のにこやかな瞳に見られながら、どうしてか複雑な気持ちになっていた。彼女の言った「ありがとう」には心地よさを感じていた。ただ、それと同時にどこか切なさを含んだ陰りのようなものも感じて、うまく言い表すことのできないモヤモヤとした落ち着かない感情を抱く。

 自分の気持ちを誤魔化すように、僕は店内に視線を走らせた。すると、壁の一部が黒板になったところにメニューが書かれているのを見つけた。そこには、ランチメニューやドリンクの他にデザートも数種類載っていた。

「ケーキでも食べる?」

 さっきの複雑な心境に手持ち無沙汰を感じて言葉を滑らせる。それに、見ず知らずの素敵な女性とお茶をしているという、嬉しくも不思議な状況にくすぐったさも感じていたし。運ばれてくる飲みものを待ち、黙り込んでいられなかったのもあった。

 こういった場合、何かしら彼女について訊ねるべきだろうし。あるいは自分のことを話すべきなのだろうが、どうしてかそういったことは上手く頭に浮かばなかった。
 僕は、カフェのメニューに助けを乞うように黒板を指さした。

「ショートケーキにチーズケーキ。ミルクレープにモンブラン。あ、プリンもあるよ」

 早口で捲し立ててから、彼女の顔を見た。すると、ニコニコととても嬉しそうな表情をするから、女性にはやっぱり甘いものだよな、なんてほっとする。

 僕の提案に、彼女は無言のまま黒板を指さす。言葉にしない彼女が、どのケーキを指しているのかよく分からなかったのだけれど。どうしてか僕の頭には「プリンしかないだろう」という第三者の声のようなものが届いて。そうだよな、彼女は、プリンだよなとなぜか納得した。

「プリンにする?」

 躊躇うことなくそう訊ねると、彼女は大きな瞳をさらに大きくしてクシャリと笑顔を作った。これも正解だったようだ。

 僕に乙女心など理解できるはずもないと思っていたけれど、ここに来て突然レベルアップでもしたのかもしれない。
 乙女心を掴む能力が急に上がった僕は、得意げな顔をする。すると彼女は、また少しだけ切ないような顔をするものだから、僕は急に居た堪れない気持ちになった。どこか説明のできない罪悪感のようなものが、心をチクチクとついてくる。

 小さな痛みを感じながら、彼女が美味しそうにプリンを食べる姿を眺めていた。口に入れたあと、嬉しそうに「んーっ」と言って目を閉じ幸せに浸る表情は、プリンを食べていない僕の心の奥の方まで甘く幸せにさせてくれた。
 僕は幸せな気持ちを噛み締めるようにコーヒーを飲む。ここのコーヒーは、僕好みの深く苦味のあるものでとても美味しかった。彼女のおかげで、いいカフェを知った。

 カフェで向き合いお茶をしている間、彼女は少しずつ自分のことを話してくれた。
 この街には、もう三年も住んでいること。このカフェには、よく訪れているということ。駅前のスーパーは大きくて便利だけれど、少し先の商店街の方が、野菜は新鮮で安いこと。角を曲がった先のコンビニには、プライベートレーベルの好きなスナック菓子があるということ。
 僕と同じだ。そう思ったらつい嬉しくなって頬が緩んだ。

「何かわからないことがあれば、いつでも声をかけてね」

 親切に笑みを浮かべる彼女に、この街に住んでいればまたどこか。例えばこのカフェで偶然会うかもしれないと思ったら、ますます嬉しくなってしまった。

 プリンもドリンクもなくなり、彼女とのティータイムが終わってしまった。後ろ髪をひかれるように席を立ち、僕たちは会計をするためにレジへと向かった。
 二人で財布を取り出し支払う瞬間、僕の口からは思いもよらない言葉が飛び出した。

「だから、未来。ここは僕が払うって、いつも言ってるだろ」

 するりと自分の口から出た言葉にとても驚いたし。何より、隣に立つ彼女は、僕よりももっともっと驚いた顔をしていた。

 彼女に袖を引かれ、このカフェで話している間。僕は、彼女に名前を訊ねてはいなかった。なのに、未来だなんて。
 突然僕から未来と呼ばれた彼女の瞳からは、大粒の涙があとからあとからぽろぽろとこぼれ出て。涙の粒を数えるみたいに見ていたら、たくさんの記憶がいくつもいくつも僕の脳内に再現されていった。

「素敵なカフェだね」
「あの窓際の席は、私たちの特等席にしようよ」
「いつものアイスティーとコーヒーでいいですか?」
「ホント、未来はプリンに目がないよな」

 僕の頭の中に語り掛けるように、たくさんの言葉や映像があふれ出てくる。

「よかった。全部忘れてしまっていなくて。よかった……」

 彼女は僕の両手を握ると、縋り付くように泣きながら笑う。

 僕は、彼女を知っていた。このカフェも。自然と向かいあい座った席も。彼女がアイスティーを頼むことも。プリンを美味しそうに食べることも。
 そして、この街に僕と彼女が一緒に住んでいたことも。

 僕の記憶は、脳みそのどこか奥の隠れた隅のところで、君のことをしっかりと覚えていたんだ。言葉も行動も、過去の僕が今の僕を自然と誘導してくれた。
 こうやって、また君に会うために。

 あの日、眠っている僕のそばで微かに聞こえた話し声に、未来は震える声で返事をしていた。
 普段から何かヒントになるようなことを、言ったり見せてあげたりしてください。彼の脳は、全てを忘れているわけではありません。今は引き出しの奥の方にしまっているだけです。根気強く、何度も話してみてください。

 蘇る記憶。僕と未来との大切な思い出。

「悠ちゃん。お帰り」

 未来が泣きながら笑う。

「ただいま、未来」

 僕も泣きながら笑った。
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