とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-

（仮）同棲生活三日目。今のところ特に問題は起こっていない。

　あるとしたら文也がいつも以上にべったりで困ることぐらいだろうか。文也は思っていた以上に甘えたらしい。

　だが、美帆も口頭では呆れつつもまんざらではなかった。

　これだけ大事にされているなら、きっとうまくやっていけるのではないか。そんなふうに思い始めていた。

「へえ、津川さん愛妻家ねぇ。いいんじゃない？　それだけちゃんとしてたら結婚しても大きなトラブルにはならないでしょ」

（仮）同棲の話をすると、沙織は安心したように頷いた。

「まあ、最初より安心したかな」

「結婚なんて勢いがあればなんとかなるよ。相手次第だけど。まあ津川さんなら将来的に安泰だろうし、美帆が仕事続けることも反対してないんでしょ？　言うことないじゃない」

「うん……ただ、文也さんの実家のことが気になるんだ」

「ああ、津川商事の社長？　うーん、確かに。聞く限りあんまりいい人たちじゃなさそうだし……でも、文也さんは関わるつもりないんでしょ？　ならそれでいいんじゃない？」

　文也がいいと言えばそれでいい。だが、本当にそれでいいのだろうか。

　もし今後関わることがあったとしたら、冠婚葬祭の時か後継の話の時だろう。文也は自分が後継になることはないと言っていた。だから気にしなくてもいいと────。

「もしかして、顔合わせのこととか考えてる？」

「ううん、うちの両親大雑把だから、そういうの多分気にしないと思う。理由は聞かれるだろうけどね」

「ならいいじゃない」

　そうかもしれない。概ねの問題は片付いた。だが、何かが心の奥に引っかかっている。漠然と、名前のわからない感情がずっとそこに居座り続けていた。




　定時ぴったりに仕事を終え、美帆は会社を出た。

　文也も最近はなるべく早く仕事を終わらせるようにしてくれている。今だけかもしれないが、それでもよかった。

　会社を出て駅に向かう。五番出口と書かれた入口を目前に、美帆はふとそこに立っている人物に視線を向けた。

　スーツ姿の男性はきっちりと髪を七三に分け、シワひとつないスーツを磨かれた革靴を見れば彼のキチンとした性格が窺える。

　だが、美帆がその男性に目を留めたのは格好のせいではない。男性が美帆の方を見ていたからだ。

　美帆が出口まで来ると、男性は美帆の方に体を向けた。

「杉野美帆様ですか？」

　その見た目に相応しい丁寧な物言い。礼儀正しい会釈。だが、美帆は自分の体が強張るのを感じた。

　これから何か良くないこと起ころうとしているような────そんな予感がした。