とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 次の日、美帆は出勤がてら丸井が立っていた五番出口を確認したが、流石に毎日は待ち伏せていなかった。

 丸井はまた現れるだろうか。名刺をもらったものの、どうしたらいいか分からない。

 会社に直接尋ねるここともなければ家にも来ない。藤宮と文也には知られたくないということだろう。

 この日美帆は秘書課勤務だった。朝から本堂常務に同行して車で出かけた。

 本来は秘書である美帆が運転するべきだが、乗り慣れているからと本堂が自ら運転している。どちらが秘書かわからないな、と思いながら助手席に座り、出先で使う資料を眺めた。

 口数が少なく要点だけしか言わない本堂とは仕事以外の会話をしたことが数えるほどしかない。それも決まって、本堂の妻である藤宮社長が一緒にいる時だ。

 口数が少ない本堂だが、社長の前では割とよく喋る。その顔がなんだか嬉しそうに見えて、美帆もそれほど本堂が苦手ではなくなった。

 右隣の席でハンドルを握る本堂を見て、美帆はふと思った。

 ────そういえば、常務も一般家庭出身だったよね。

 本堂常務はシンデレラ結婚をした男だ。

 元々藤宮コーポレーションの営業だったが、あれよあれよという間に昇進したかと思ったら挙げ句の果てには社長と結婚して常務になった。これをシンデレラでなくてなんと言うだろう。

 今はすっかり見慣れてしまったが、当時はその話題で会社中が盛り上がったものだ。

 本堂は天下の藤宮グループの跡取りと結婚して、何もなかったのだろうか。文也のことをもあって、興味が湧いた。

「あの、常務。少し伺いたいことがあるのですけど……」

「なんだ」

「プライベートなことを聞いて申し訳ないんですが……常務は、社長と結婚した時反対とかされなかったんですか?」

「まあ、それなりにな」

 本堂は嫌がる様子ではない。だが、その答え方では大変だったのかそうでなかったのか分かりづらい。

 当時、本堂が社長と結婚したことで社内に色々な噂が飛び交った。本堂常務はモテていたし、惜しむ声もあればやっかむ声もあった。一般社員だった本堂が社長と結婚したことに対し、何か裏があると思ったのだろう。

 だが、実際に二人を見ていれば恋愛結婚だとよくわかる。そんな噂を立てるのは二人のことをよく知らない社員だけだ。

「常務は男性だから反対はされなかったと思いますけど……社長のご両親とかは……」

「流石の殺し屋は雇われなかったが、実家の会社潰されそうになるぐらいの妨害は受けたな」

 ────れ、レベルが違いすぎる。

 天下の藤宮グループだ。むしろ命が助かってラッキーぐらいに思っていたのだろうか。

「それを聞くってことは、例の津川商事の男と続いてるんだろ」

 美帆はどきっとした。本堂常務はそもそも津川フロンティアと契約すること自体反対していたと聞いた。よく思われていないのだろうか。なんだか答えづらい。

 美帆が言葉に詰まっていると、本堂の方が先に口を開いた。

「個人的な意見を言うなら、やめといた方がいい」

「……どうしてですか?」

「俺が言いたいのは金持ちとの価値観だとかあの男がどうとかじゃない。この間みたいな罠を仕掛けてきた奴らとお前が和解できるか。絶対無理だ。ああいう大企業の人間ってのは全員じゃないが考え方が違う。好きあってるから結婚させてやろうみたいな考えにはならないんだよ」

「じゃあ……常務と社長は……」

「縁は切ってないが……似たようなもんだな。あいつの父親は隠居生活で、悪く言えば会社から追い出したわけだ。あいつも俺もそれを覚悟でそうした。全部円満にできたわけじゃない」

 つまり、現社長と常務は前社長から会社の実権を奪い取ったというわけだ。

 一般的に見ればひどく親不孝なことをしているのかもしれない。だが、それぐらいしなければ一緒になれなかった。それぐらいしてでも一緒にいたかったということだ。

「俺はあいつと結婚するのに五年掛かった。まあ俺とお前じゃ立場が違うが……反対され続けてる以上、覚悟は必要だ。結果的にあいつは両親を捨てた形になる」

 思った以上に重い話が返ってきて、美帆は言葉を失った。

 男性の方が女性より現実思考だ。はっきり回答されたことは有り難かったが、夢や希望は薄れた。

 もしどうしても文也といたければ、文也は家族を捨てる決意をしなければならないだろう。そういうことだ。

 もし、自分が同じ立場だったらどうするだろうか────美帆は考えた。

 両親が死ぬほど嫌いならそれも出来るかもしれない。だが、容易ではない。肉親を切るということは言葉ほど簡単なものではない。

 結婚は楽しいものだ。沙織はそう言っていたが、本堂の話を聞いたからか、とてもそんな楽しい想像はできなかった。
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