とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
 仕事が終わってから少しして、文也から連絡があった。美帆は文也が待っているはずの会社の前に向かった。

 外に出ると、文也はスマホを見ながら立っていた。

「待たせてごめんなさい」

「ああ、お疲れさん。行こか」

 美帆はチラリと横目で文也を見上げた。文也はやっぱり疲れているように見える。それに、どことなく元気がないようだ。いつもならあれこれ喋るのに、今日は口数が少ない。沈黙が怖くてつい話を振った。

「文也さん、何が食べたいですか?」

「んー、せやなぁ……美帆は何が得意なん?」

「得意って言われると……チャーハンは好きでよく作ってますけど」

「テレビ見ながら食べやすいからやろ」

「うっ……そうです」

「ええよ。それにしよ。家の近くにスーパーあるからそこに寄ろか」

 文也の家に行くのは初めてだった。だが、美帆は帰り道があの時────滝川を尾行した時と同じ道であることに気が付いた。

 そして電車に乗り、あの時と同じ駅に着いた。文也は会社の近くに住居を借りているのだろう。

 駅の一階にあるスーパーで買い物をして、そこから歩いて十分ほどの場所に文也のマンションがあった。

 一見、普通のマンションだ。割と新しめなようだが、津川商事の御曹司の息子が住んでいるにしては普通すぎると思った。

「その顔、意外やと思ってるんやろ」

 胸の内を当てられて美帆はドキッとした。

「家にはほんま寝るのとシャワーするためにしか帰らへんねん。俺ほぼ会社におるしな。勿体無いやろ」

 オートロックを開けて中に入る。ごくごく一般的な、普通のマンションだった。美帆が住んでいる物件とそう変わらない。

 文也の部屋は五階にあった。鍵を開けて中に入ると、まず一番初めに何もなかったことに驚いた。玄関にも物がないし、靴箱の上にも物がない。部屋に続く廊下も綺麗だった。

「綺麗に使ってるんですね」

「使ってるんやなくて使ってないねん。あ、靴は適当に置いてええよ」

 部屋に上がると、玄関や廊下と同じような空間が広がっていた。

 ベッドはあるが、テレビもないしテーブルもない。だからか、脱いだまま置いてあるジャケットが目立っていた。まるで単身赴任引越したてのサラリーマンの部屋だ。

「……本当に何もないんですね」

「がっかりした?」

「ちょっとビックリしました」

 もともと庶民的な人だと思っていたからガッカリはしていない。美帆はただ、自分だったらもっと色々置きたくなるな、と思った。

 文也の部屋はほとんど物がないが、キッチンの道具はある程度揃っていた。ほんとうに初期装備程度だが、凝ったものは作らないので問題ない。

「手伝った方がええ?」

「いえ、大丈夫です。チャーハンですし二人もいりませんよ」

「ごめんけどちょっと仕事してるな」

 文也は仕事鞄からノートパソコンを取り出してベッドを背にいじり始めた。以前見たのと同じパソコンだ。

────やっぱり、文也さんが滝川さんなの……?
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