とある企業の恋愛事情 -受付嬢と清掃員の場合-
「ごめんなさい。ちょっと津川さんと話したいから、杉野さんは出てくれるかしら」
社長は呆然とする美帆に言った。
だが、うまく判断できないのか美帆はなかなか動けないようだった。正面から真実を言われたのだ。美帆もショックを受けているのだろう。
最終的に青葉が美帆に寄り添って外へ連れ出した。
後ろ姿を横目で見ながら、文也は罪悪感でいっぱいになった。
「……損害に対する賠償金は払うつもりです。金額を提示していただいたらそのように────」
「先ほどの話は本当ですか」
社長は文也の言葉を遮った。文也は静かに頷いた。
「本当のことです。情報を引き出すために彼女に近付きました。杉野さんは結局しゃべりませんでしたが」
「では、今回のことはどう説明するつもりですか」
どうせ調べれば分かってしまうことだ。ここで隠していても意味はない。
「俺はある人物から依頼を受けて藤宮コーポレーションの情報を手に入れるよう言われました。そこで杉野さんに近付きましたが、それとは別で動いていた人間がいたようです」
「では、今回のことは全く知らなかったと？」
「今回の件に関しては知りませんでした」
「その依頼をしたのは誰だ？」本堂常務が言った。
「……津川、雅彦。俺の父親です」
父と言うのは癪だった。だが、これは報復だ。この件が公になればあの男もただでは済まないだろう。散々息子を手玉に取ったのだ。これぐらいしたってバチは当たらないはずだ。
「杉野さんの社員IDは盗まれたものです。そのIDを使って会社のネットワークサーバーに侵入されました。だから────」
「知ってますよ。杉野さんは無関係なんでしょう」
言葉の先を言われて文也はえっ、と驚いた。
「うちにも詳しい人間がいるので、調べてもらったんです。杉野さんのIDが使われたのはまったく無関係な場所。社員のIDは会社のパソコンからじゃないと基本的にはアクセス出来ない。杉野さんはパソコン苦手な人だから、外部からアクセスするなんてまず無理です。最初から疑うつもりなんてありません」
どうやらこの社長は馬鹿ではないらしい。こちらの報告を鵜呑みにせず独自で調べていたようだ。
それなら、美帆が疑われることはない。文也は少しホッとした。
「ですが、あなたの会社とその依頼人の犯したことについては看過できません」
社長はピシャリと言い放つ。当然のことだ。情報が盗み出されたことは事実だ。現在まだ被害は確認されていないが、この先ないとは言い切れない。
「津川フロンティアに対する処置は追って連絡します」
「……藤宮社長」
「なんでしょう」
「杉野さんは……辞めさせられたり、しませんか」
文也が尋ねると、社長は少し驚いたように目を見開いた。
「そんなことはしません」
「あの子は……今の仕事に誇りを持っています。出来れば辞めさせないであげてください。俺が言うことではないですが」
文也は頭を下げ、社長室から出た。
会社に戻ると、疲弊しきった顔の社員達がいた。ここ数日間サーバートラブルの件で残業続きだ。顧客からのクレームの対応もしている。おまけに会社が潰れるかもしれなくて精神的にギリギリだ。
文也が戻ってくると、社員達は顔を上げた。普段ならひどい顔だとからかうが、今は文也自身もそんな元気がない。
「藤宮の社長と会ってきた」
そう告げると、社員達の瞳が見開いた。
「どうなったんですか」と、社員の一人が言った。
「……分からん。また後日連絡がある」
社員達の顔に落胆の色が浮かぶ。
「みんなもうええから、今日は帰り。あとは俺がやっとくわ」
「けど、社長一人で出来る量じゃないですよ」
「分かってる。出来る分だけ進めるだけや」
「……無理はしないでくださいね」
十分後、オフィスは空になった。人が一人もいなくなったオフィスで、文也は仕事に手をつけるでもなくぼんやりと宙を見つめた。
────美帆、今何してるんかな。
絶対絶命のピンチの時に美帆のことを思い出すなんて案外余裕があるのだろうか。いや違う。ただ現実逃避しているだけだ。
藤宮の社長がどう出るか分からないが、問題が発生した場合大概賠償金を払うことが多い。むしろ、金以外では償えない。会社が潰れただけでは相手側には何のメリットもないのだから。
こういった時のために保険にも入っているが、藤宮相手だと全額出たとしても賄えないだろう。私財を叩いても出る額ではない。破産という文字が頭に浮かんだ。
社員達に退職金は払えるだろうか。この先のことはどうするか。頭がいっぱいになる。死んだほうがいいかもしれないぐらいの窮地だ。
だが、実際は死んだところで何も出ない。余計に社員達が困るだけだ。
父親はどうしているだろうか。この件は耳に入っているだろう。それでも連絡がないところを見ると、何もするつもりがないのかもしれない。
簡単な話だ。子会社がしでかしたことだからと言って逃れることはできる。証拠はない。十分可能だ。
結局、自分は捨て駒だったのだ。あの話をされた時に断るべきだった。そうすれば誰も傷つけずに済んだだろう。
目を閉じると、泣いている美帆の顔が浮かんだ。
だがもうその涙を拭ってやることは出来ない────。そう思うと、瞳の奥にいる彼女につられて泣いてしまいそうになった。
社長は呆然とする美帆に言った。
だが、うまく判断できないのか美帆はなかなか動けないようだった。正面から真実を言われたのだ。美帆もショックを受けているのだろう。
最終的に青葉が美帆に寄り添って外へ連れ出した。
後ろ姿を横目で見ながら、文也は罪悪感でいっぱいになった。
「……損害に対する賠償金は払うつもりです。金額を提示していただいたらそのように────」
「先ほどの話は本当ですか」
社長は文也の言葉を遮った。文也は静かに頷いた。
「本当のことです。情報を引き出すために彼女に近付きました。杉野さんは結局しゃべりませんでしたが」
「では、今回のことはどう説明するつもりですか」
どうせ調べれば分かってしまうことだ。ここで隠していても意味はない。
「俺はある人物から依頼を受けて藤宮コーポレーションの情報を手に入れるよう言われました。そこで杉野さんに近付きましたが、それとは別で動いていた人間がいたようです」
「では、今回のことは全く知らなかったと？」
「今回の件に関しては知りませんでした」
「その依頼をしたのは誰だ？」本堂常務が言った。
「……津川、雅彦。俺の父親です」
父と言うのは癪だった。だが、これは報復だ。この件が公になればあの男もただでは済まないだろう。散々息子を手玉に取ったのだ。これぐらいしたってバチは当たらないはずだ。
「杉野さんの社員IDは盗まれたものです。そのIDを使って会社のネットワークサーバーに侵入されました。だから────」
「知ってますよ。杉野さんは無関係なんでしょう」
言葉の先を言われて文也はえっ、と驚いた。
「うちにも詳しい人間がいるので、調べてもらったんです。杉野さんのIDが使われたのはまったく無関係な場所。社員のIDは会社のパソコンからじゃないと基本的にはアクセス出来ない。杉野さんはパソコン苦手な人だから、外部からアクセスするなんてまず無理です。最初から疑うつもりなんてありません」
どうやらこの社長は馬鹿ではないらしい。こちらの報告を鵜呑みにせず独自で調べていたようだ。
それなら、美帆が疑われることはない。文也は少しホッとした。
「ですが、あなたの会社とその依頼人の犯したことについては看過できません」
社長はピシャリと言い放つ。当然のことだ。情報が盗み出されたことは事実だ。現在まだ被害は確認されていないが、この先ないとは言い切れない。
「津川フロンティアに対する処置は追って連絡します」
「……藤宮社長」
「なんでしょう」
「杉野さんは……辞めさせられたり、しませんか」
文也が尋ねると、社長は少し驚いたように目を見開いた。
「そんなことはしません」
「あの子は……今の仕事に誇りを持っています。出来れば辞めさせないであげてください。俺が言うことではないですが」
文也は頭を下げ、社長室から出た。
会社に戻ると、疲弊しきった顔の社員達がいた。ここ数日間サーバートラブルの件で残業続きだ。顧客からのクレームの対応もしている。おまけに会社が潰れるかもしれなくて精神的にギリギリだ。
文也が戻ってくると、社員達は顔を上げた。普段ならひどい顔だとからかうが、今は文也自身もそんな元気がない。
「藤宮の社長と会ってきた」
そう告げると、社員達の瞳が見開いた。
「どうなったんですか」と、社員の一人が言った。
「……分からん。また後日連絡がある」
社員達の顔に落胆の色が浮かぶ。
「みんなもうええから、今日は帰り。あとは俺がやっとくわ」
「けど、社長一人で出来る量じゃないですよ」
「分かってる。出来る分だけ進めるだけや」
「……無理はしないでくださいね」
十分後、オフィスは空になった。人が一人もいなくなったオフィスで、文也は仕事に手をつけるでもなくぼんやりと宙を見つめた。
────美帆、今何してるんかな。
絶対絶命のピンチの時に美帆のことを思い出すなんて案外余裕があるのだろうか。いや違う。ただ現実逃避しているだけだ。
藤宮の社長がどう出るか分からないが、問題が発生した場合大概賠償金を払うことが多い。むしろ、金以外では償えない。会社が潰れただけでは相手側には何のメリットもないのだから。
こういった時のために保険にも入っているが、藤宮相手だと全額出たとしても賄えないだろう。私財を叩いても出る額ではない。破産という文字が頭に浮かんだ。
社員達に退職金は払えるだろうか。この先のことはどうするか。頭がいっぱいになる。死んだほうがいいかもしれないぐらいの窮地だ。
だが、実際は死んだところで何も出ない。余計に社員達が困るだけだ。
父親はどうしているだろうか。この件は耳に入っているだろう。それでも連絡がないところを見ると、何もするつもりがないのかもしれない。
簡単な話だ。子会社がしでかしたことだからと言って逃れることはできる。証拠はない。十分可能だ。
結局、自分は捨て駒だったのだ。あの話をされた時に断るべきだった。そうすれば誰も傷つけずに済んだだろう。
目を閉じると、泣いている美帆の顔が浮かんだ。
だがもうその涙を拭ってやることは出来ない────。そう思うと、瞳の奥にいる彼女につられて泣いてしまいそうになった。
