恋愛タイムカプセル

  私達はそれからあちこち歩いた。当時通っていた小学校にも少しお邪魔した。春樹くんが通っていた学校も見た。

 二人であの頃の思い出を共有して、あの時は知らなかった「本を読んでいる春樹くん」以外のことも知ることができた。

「公民館のところに戻ってもいい?」

 春樹くんがそう提案したので、私は頷いた。一頻(ひとしき)り廻って、これ以上行くところがなくなった頃だった。

 公民館前まで戻ると、彼は隣にある図書館に向かって歩き始めた。

「まだ営業してるんだね」

「静かで人がほとんどいないから気に入ってたんだ。欲しい本もすぐに入れてもらえたし」

 中に入ったが、本当に人がいなかった。受付に眼鏡の女性が一人いるだけで、館内はBGMもかかっていないので妙に静けさが目立った。

 普通はいっぱいになるはずのパソコンコーナーも、誰も座っていなかった。

 しかし、だからか綺麗だ。床はサーモンピンクとベージュ色の四角いカーペットが市松模様状に並べられているが、あまり汚くない。

「本当に人がいないんだ」

 思ったままをコメントすると、彼は肩を竦めた。

「もともと、使ってなかった建物を図書館に改築したらしいんだ。けどすぐ近くに大きな図書館が建っちゃって、こっちに人がほとんど来なくなったんだよ」

「そうなんだ……春樹くんはそっちに行かなかったの?」

「あっちには興味がなかったから」

「どうして? こっちより本がたくさんあるんじゃないの?」

 私は少し大きな声で言いすぎただろうか、と受付の女性の方を見て隠れるように本棚の内側に入った。

「まあ……そうなんだけどね」

 話を変えて、二階に行ってみよう、と春樹くんは階段の方に向かった。そのまま二階に上がり、窓際まで歩いた。

壁伝いに連なった窓は陽の光を取り込んで館内をふんわりと明るく包む。そこから先ほどのバス停や市役所の駐車場が見えた。

 なんだか彼が懐かしそうにその景色を眺めていたので、私も同じようにその景色を眺める。

 ────あ、あそこでよく絵描いてたな。

 公民館の前には大きなロータリーがあり、その中心には一本の木が高植えされている。

 大きなクスノキだ。夏場はあの大きな木の木陰に入って涼みながら絵を描いていた。

 その木を囲むようにベンチが三つほど置かれていて、絵画教室のみんなでそのベンチを取り合ったものだ。

「私、昔よくあのベンチに座って絵を描いてたんだよ」

「うん、知ってるよ」

 彼の知っている、は「覚えている」と同じ意味だろう。私はまた、不可思議な思いに囚われる。

 ────彼はただ、私を覚えていただけ? それにしてはやけに覚えているけど……。

「春樹くん、よく図書館に通ってたよね」

 ストーカーみたいに思われないかな、となんとなく不安になる。

しかし彼は思いのほか嬉しそうに笑った。

「そう、見たいものがあったから」

 彼の本好きは昔からなのだろう。私もあの頃から彼と話していれば、もっと早く仲良くなれたかもしれない。

「朝陽」

 彼の顔がスッと近付く。私はどきっとした。熱のこもった瞳はいつもの彼じゃないみたいだ。なんだか、迫るものを感じる。

 唐突だった。

 普段の彼からは想像できないような、押し付けるような口付けに、私の頭は真っ白になった。

 いつの間には私の両手は彼の指が手枷のように絡みついていて、動かないで、と言われているみたいだった。

 彼との口付けだとわかっているなら断ったり拒絶することなどあり得ない。けれど私はいい大人だというのに、そんな想像をちっともしていなかったものだから彼の唇を受け入れる準備なんてまるで整っていなかった。

 ────誰かに見られないかな。

 ────まるで春樹くんじゃないみたい。

 一人のキスを受けながらいろんなことを考える。王子様らしい優しい口付けではなかった。野獣と呼ぶほど荒々しくはないけれど、どこか早急で何かに追い立てられているような。

 口付けられている間、私が「どうしよう」と心の中で十回ほど思った頃、彼は唇を離した。

「────嫌だった?」

「……びっくりした」

 彼とした初めてのキスの感想としてはとても粗雑なものだった。乙女チックな言葉が言えなかったことに後で気が付いたけれど、私の脳内はまだそれどころではない。処理が追いつかなくて放心していた。

 高校の頃から今まで、そんな想像をひとつもしなかったわけではないが、想像とは大分違った。

「俺、多分これからもびっくりさせるよ。多分高校の時の、朝陽が知ってる俺とは違うかも」

 王子様みたいじゃないってこと、と彼は付け足した。

「だから嫌だったら言って。直すから」

 春樹くんは合わない、とか離れようとか思わないんだ。彼の脳内にその選択肢が登場しないのは彼が優しいからだろうか。私は、自分にそれだけの価値があるだろうかと自問した。

 多分、ない。

 けれど彼は私のために自分の意思を曲げたりすることをいとわない。一体いつの間に私はそれだけの女になったのか。

「そんなの、私の方が直すところだらけだよ」

「朝陽はそのままでいいよ。変わらないで」

「よくないよ。手、もう離して。私手汗かいてるから」

「嫌だ」
 
 彼はますます私の手を握って悪魔の微笑みみたくにっこりと笑った。

 私が高校生の時なら「黒王子」と名付けていただろう。そして学校中の女子がその笑みにキャーキャー言ったに違いない。
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