あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。
「分かった。もういいわ」

「静さん……」

「あなたの謝罪は受け入れました。それにあなたばかりに責任があるわけじゃないことはわたしも重々承知。喧嘩両成敗、痛み分けということにしましょう」

わたしがそう言った途端、彼は二重の垂れ目を輝かせた。けれどすぐにその瞳を見張ることになる。

「あれは無かったことにします。さっきも言いましたが、お互いに『夢かまぼろしだった』と思うことにしましょう。他言無用はもちろん、後々これを盾に何かご面倒をおかけすることは絶対にしません」

きっと彼は、そう念を押しに来たのだろう。最初から分かり切っていた。

グループの下っ端社員に弱みを握られたままじゃ、おちおち仕事も出来ないだろう。
ただでさえ、今は会社にとって大事な時期なのだ。

Tohmaグループ筆頭企業である【トーマビール】は、TOKYO2020―東京五輪―のオフィシャルサポーターを務めている。
そのための企画が立ち上がり、販売拡大のテコ入れとして最高(C)マーケティング(M)責任者(O)自ら、わざわざここ関西にやってきたのだから。


「それならいいですよね」と念を押そうと口を開きかけた時―――

「勝手ですね」

「え、」

「静さんは勝手だ」

まっすぐに挑むような目でそう言った彼に、わたしはカチンときた。

せっかく御曹司の立場を斟酌(しんしゃく)して、『なかったことにしてやろう』と言ったのに!
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