あいにくですが、エリート御曹司の蜜愛はお受けいたしかねます。
***


ツアー開始時間になり、お客様をご案内する。

最初にご案内するのは“ミニシアターホール”。
ステージに向かって階段状にイスが配置されたそこは、何組かの家族連れ以外には、海外からのお客様や大学生の若者で埋め尽くされていた。


「本日は、トーマビール関西工場へお越し頂きありがとうございます。――Thank you very much for coming to our beer factory.」

壇上脇の演台でのお決まりの挨拶。
三年間で何度も口にしているこの始まりの挨拶は、もう眠っていても言えるだろう。

それなのに―――。

「本日アテンドを担当いたします、静川と申しま、――す」

自己紹介の途中で一瞬言葉に詰まった。
会場の奥、階段状になった客席の最後列に、いるはずのない人の姿が見えたのだ。

なんとか不自然じゃないレベルで言葉を続けられたのは、この三年間で培った工場見学ツアーアテンダントとしてのキャリアのおかげ。

動揺を笑顔の下にぐっと収め、「どうぞよろしくお願いいたします。――My name is Shizukawa. I’ll show you around this factory.」と最後まで滞ることなくいつもの台詞を口にする。

けれど、内心では。

(な、な、な、な、なんで!なんでアイツがここにいんのよっ!?)

死ぬほど動揺していた。


(落ち着け静!居てもおかしくないでしょ……だってアイツはTohma(うち)のお偉いさん!本社からこっちに出張中っ!)

そう、おかしくない。おかしくない―――

いや、絶対おかしい!!


会場に紛れ込んだ彼は、仕立てのよいスリーピーススーツではなく、整髪剤でかっちりと整えられた髪でもない。

ざっくりとしたニット。ボサボサと下ろした前髪のかかる分厚い黒縁メガネ。
しかもキャップを目深に被っていて、完全に大学サークル団体様に溶け込んでいる。

全然『当麻CMO』じゃない。


(なにやってんのよ、アキ~~~っ!)

マイクを持ってにこやかに喋りながら、わたしは心の中で雄たけびを上げた。


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