官能一夜に溺れたら、極上愛の証を授かりました
七夕番外編
「ありがとう、じゃあここで」

「おやすみなさいませ」

 運転手が帽子に手をかけ、慇懃に頭を下げた。後部座席のドアが静かに閉まり、車は夜更けの街の中に溶けていく。車が見えなくなるまで見送って、俺は一つため息を吐いた。

 接待帰りで、すでに日付は変わっている。梅雨の最中のこの時季、見上げた空はただただ暗く、この時間になっても纏わりつく空気は湿っていて重い。疲れた体を引きずって、マンションのエントランスを目指した。

 カーペットの敷かれたエントランスを横切り、すでに照明が落ちたラウンジを横目にエレベーターホールを目指す。十二階のボタンを押したところで、あるものが目についた。

 この空間にはおよそ不似合いな、一本の笹飾り。サービス精神旺盛なコンシェルジュの仕業か。それとも住人の子供達か。このマンションには外国人も多く住んでいると聞くから、後者かもしれない。

 折り紙や和紙で手作りするのではなく、市販の凝った飾りをつけるところがいかにもここの住人らしい。そういえば今日は、いや、もう昨日か、七夕だったということに気がついた。

 天帝の怒りを買い、一年に一度、七夕の夜にしか逢瀬を許されない織姫と彦星。愛しい人に会えない二人に、つい自分の姿を重ねてしまう。

「馬鹿らしい……」

 いつになく感傷的なのは、きっと疲れているせいだ。そう思ったのに。

 ふと視界に入った短冊には、『愛しい人とずっと一緒にいられますように』と書いてあり、胸がじくりと痛んだ。

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