あなたのためには泣きません
バサバサっと派手な音を立てて、書類がなだれ落ちる。
ついでに椅子まで後ろにひっくりかえってしまった。

「なななな!!!!!????な、な、なに!?優菜ちゃん、なに!?」

あまりの衝撃に私はまともにしゃべれない。

私がなだれ落とした書類を拾い集めながら、優菜ちゃんは勝ち誇ったような顔をする。

「ふふーん。ばれてないとでも思ってました?私の情報収集力をなめてもらっちゃ困りますよ。」

「な、なんで!?」

「那智さんがSHCに行くときだけ、ちょっとおしゃれしてることくらいわかってます。」

「だから!?な、なんで!?」

私は混乱してしまって、同じ言葉を繰り返す。

「内緒です。」

いたずらっぽく唇をよせている優菜ちゃんから、悪魔のしっぽがはえているような気がした。

と、そこへ

「何してんの?滝沢さん。大丈夫?貧血?」

と、声をかけてきたのは

「市井さーん♡」

細めのストライプが入ったスーツを品よく着こなした市井さんだった。
少し長めの前髪が、癖毛なのか緩やかなウェーブを打っている。

おいおい、優菜ちゃん。語尾に♡が見えるよ。

「だ、大丈夫です。ちょっと、躓いて」

と、私はデスクに手をかけ、ゾンビのようにはい出した。

「そう?無理しないようにね」

そう言いながら、私が引き倒した椅子を起こしてくれた。

優菜ちゃんは市井さんから視線を外さないまま、
「もう!那智さんったら!慣れないヒール履くからですよぉ。気を付けてくださいねぇ。ではごきげんようー!」

と軽やかに行ってしまった。

ゆ、優菜ちゃん!私、大事なこと教えてもらってないよー!!!

と心で叫びなら、茫然と優菜ちゃんを見送る。

「滝沢さん、本当に大丈夫?」

市井さんの心配げな声にはっと我に返る。

「あ、はい!朝から騒がせてしまって申し訳ありませんでした。大丈夫です。」

「尊が髪型変えてきたってだけで大変な騒ぎだよね。」

少しタレ目な優し気な顔を、困ったように寄せて市井さんが言う。

「そうなんですってね。私、全然気が付かなくて」

こけたときに打ったひざをさすりながら、立ち上がる私に、少し驚いたような顔をする市井さん。

「そうなんだよ。学生時代の連れが美容室経営してるんだけど、雑誌に載せるヘアカタログのモデルになれって言われて、なんだかやたらチャラくさせられたんだって」

「はぁ、、、、」

ヘアカタログ、モデル、、、、

キラキラした言葉を頭に浮かべてみるけれど、いまいちピントこない。
とにかく、佐川さんは雑誌級にイケメンだということだ。

「それは大変でしたね。でも、よくお似合いですよ。」

当たり障りのない言葉を言いながら、散らばった書類から今日、山中さんと話し合う資材の資料を抜き出す。

「尊に言っとくよ。あ、ごみ、髪についてるよ」

と言いながら、市井さんが私の髪に手を伸ばし、書類の破片をのけてくれた。

遠くで女性たちの悲鳴が聞こえたような気がした。

「あ、ありがとうございます」

私の手元にある書類をのぞき込みながら、

「今、SHC担当してるんだね。どう?わりと専門的な知識必要だと思うけど、困ってない?」

こうしてさりげなく後輩の仕事ぶりを心配してくれるところが、市井さんが男性の後輩からも慕われる理由だと思う。

「はい。最初は泣いてましたけど、先方の担当者さんによくご指導いただいて、なんとかついていけるようになりました。」

言いながら、山中さんの笑顔を思い出して、心が温かくなる。

「そうなんだ。滝沢さん、仕事に熱心で素直だから、きっと教えがいもあると思うよ。がんばってね」

そうして、にっこりとほほ笑む市井さん。

また遠くから悲鳴が聞こえたような気がした。

「ありがとうございます。がんばります!」

まるで山中さんから褒められたような気がして、私はこけたときに落としたうきうき感をとりもどした。

優菜ちゃんがどうして私の秘めたる恋を知っているのかはさておいて、とりあえず私はSHCへ向かっった。
山中さんの笑顔を見るために。
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