無口な侯爵はエメラルドの瞳に恋をする
 屋敷へ帰ってきたネリウスは仕事に戻ったが、正直何も手がつかなくて目の前の書類を放り投げたくなった。

 頭の中には先程の光景、感触が始終蘇る。エルがキスをしてくれて、自分を求めてくれたこと。唇の感触、抱き締められた腕の強さまで全部すぐにでも思い出せた。

 あの場所がベッドの上でなかったのが幸いだ。一歩間違えばそのまま抱いてしまいそうなくらい、エルに煽られて、エルの全てに溺れていた。

 少女だと思って侮っていた。この屋敷に来た頃は痩せていたし、お世辞にも健康的とは言えなかったのに本当によくぞここまでというほどエルは美しくなった。女としても魅力的になった。

 恥ずかしがり屋で、男に不慣れで、いつも困ったように自分を見つめる。それなのに時折驚くほど堂々としていて、凛とした美しさを放っている。

 少女のように屈託無く笑い、純粋に笑いかけてくれる。なのにふと、熱のこもった瞳で何かを求めるように見つめては煽る。

 ネリウスは集中できない書類を片付けて、机の引き出しを開けた。引き出しの中にある木箱を取り出して、中を開ける。その中にはエルがくれた手紙を仕舞っていた。

 この三年間、エルからもらった手紙だ。一通や二通ではない。

 だが、ネリウスが返事をしたのは僅かだけだ。しかも手紙と呼ぶには程遠いものばかり。酷いものだと一言しか書かなかったこともある。それをミラルカに悪様に言われたことは一度や二度ではない。

 今思えば、エルはこの頃から自分のことを好きでいてくれたのかもしれない。紡ぐ言葉の一つ一つに、それが見てとれる。

 その中にある一通の手紙を手に取って開いた。

『ネリウス様、あなたがあの日図書室で本を探してくれたことは私の大切の思い出です。親切で優しいあなたに、とても感謝しています』

 エルの言葉を眺めていると、心が温かくなる。

 こんなぶっきら棒な自分をここまで評価してくれるのはエルくらいのものだろう。

 ミラルカの言う通り、女の扱いは最低レベルだ。気の利いたセリフも、愛の言葉も言えない。手を繋ぐことはおろか、まともにデートも誘えなかった。

 そんな自分だったが、エルはありのままを認めてくれた。だからエルにはできるだけ返したいとなるだけ努力を重ねて来た。エルはその一つ一つをしっかりと見てくれていた。

 ネリウスは手紙を見返し、心に決めた。今度のパーティが終わったらエルに告げよう。「妻として、この先もずっとそばにいてほしい」と。

 エルはきっと断らない。そう確信できた。
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