Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

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 初恋の彼女と約束した「シューベルトの妻」という言葉に縛られていたのは、俺の方だったのかもしれない。ピアニストの娘として華々しく音大在学中からデビューし、世界へ羽ばたきはじめていた鏑木鳴音。彼女に寄って来るハイスペックな異性も大勢いたのではなかろうか、そう考えていたが、ネメは処女だった。添田が「白い結婚」だと言っていたのは真実で、すぐにでも結婚できることが判明した。ただ、愛人でいることを選んだ彼女に心の整理をつけさせるためにも民法上の目安である百日はこの状況を我慢しようと、俺は心に決めたのである。

 最初の夜に抱いた彼女は、高校時代の健康的な体つきからは考えられないほど、細く、女性らしいものへと変化していた。両親を亡くしたショックでガリガリに痩せた彼女の痛々しい姿はテレビ画面越しに何度も見ていたが、三年が経過したいまもほっそりとした体つきのままで、ちゃんと食事をしているのだろうかと不安に思ってしまったほどだ。
 けれども彼女は軽井沢で健康的な暮らしをしていると言っていたから、俺の心配は杞憂だったらしい。ピアノを弾くための筋力はずいぶん落ちてしまったようだが、趣味で弾くぶんにはぜんぜん問題ない。むしろ、軽井沢に来てから見た彼女は気負っているところがなく、精神的にも落ち着いているようだった。悔しいが、軽井沢で過ごした須磨寺との穏やかな日々が、彼女を癒やしてくれたのだろう。
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