お願い、私を見つけないで 〜誰がお前を孕ませた?/何故君は僕から逃げた?〜
Side凪波

今、後ろにいるイケメンは、私の世界にはいたことがないはずだ。
だから、名前を呼ばれても、探したと言われても……まして帰ろうと言われても、ちっともピンっとこない。

そういえば、実鳥とこの間……高校時代に一緒に書いたBL話の攻めキャラが、確かこの人のように、ツヤサラな髪に、透き通った……でも決して弱さを感じさせない肌、明らかに整った目鼻立ち。細身だけどバランスが良い身体、そして……1度聞けば忘れない程、脳内に届く「声」。
そんな人は、二次元にしか存在しない住人だ。決して同じ世界線にいてはならない……。
というより、一緒の世界線にいたくないくらいには、自分の容姿が明らかに劣っているくらいの自覚くらいは、ある。

彼の言う「凪波」は本当に私の事なんだろうか。
いっそ別人だった、と言われる方が、よっぽどリアルだ。

この車の助手席に乗るのは、ようやく両手で数え切れる程。
高校の教室で隣の席になるのとは、訳が違う。
この場所に座る時、私は朝陽を「大人の男性」であることを改めて知る。
それがとても不思議で、ほんの少し居心地が悪い。

運転席に乗り込んできた朝陽は、慣れた様子で座席を整え、ミラーを合わせる。
そのスマートな所作は、私の記憶の中にある「悪ガキ朝陽」とは被らない。

いたずらが好きで、何かあるたびに人にちょっかいを出す、声変わりも中途半端だった時期の朝陽。はにかんだ笑顔は弟みたいに思った事があるくらい、あどけなかった。
それが一瞬で「別物」に変わってしまった。
私は置いていかれてしまった。

「凪波」
朝陽がスマートフォンを渡してくる。
こんな高価そうなものを投げるように渡さないで欲しい。
液晶を割ってしまったらどうしようとか考えないのだろうか。
「もう、使い方覚えたか?」
「たぶん……」
実鳥にも使い方を教えてもらったので、電話をかけるくらいはどうにか覚えた。
液晶で文字を入力するのは、まだ感覚としては慣れない。

すでに私の家の番号は登録されていた。0番と、数字が振られている。
以前、実鳥にその話をすると「あのヘタレ……」と腹を抱えて笑っていた。
どう言う意味なのか聞こうとしたら「ヘタレに聞いて」と言われた。
なので、朝陽にも聞いてみたところ
「……特に意味なんてねえよ」
とぶっきらぼうに言われたので、この話は終わってしまった。
……結局まだ、0番の意味を理解できていない。

私は、1回小さく深呼吸をし、呼吸を整えてから通話ボタンを押す。
「あ、お母さん……私……」
「凪波?」
「うん……」
「あんた!一体どこをほっつき歩いてるの!」
「今日、帰れないかも……」
「あんた、実鳥ちゃんと一緒だったんじゃ……。もしかして、今朝陽くんと一緒?」
「うん……」
「あんた、子供つくるようなこと、すんじゃないよ」
「え?」
「朝陽くんとお泊まりって、そういうことでしょ?本当にやめてよね、結婚式の前に子供できましたなんて、ご近所さんにどう言い訳すればいいのよ」
「だからそうじゃないって!なんでそう言う言い方するの!」
「そういうことは、結婚初夜まで取っておきなさい!良いわね」
「わかった!わかったから!切るから!」

ぷつりと自分から会話を強制終了させた。
「おばさん、なんだって?」
朝陽が心配そうに聞いてきた。
「……あー……なんでもない。朝陽の家に泊まることはOKもらった」
「ん、わかった」

疲れた……。
理由はわからないけど、私が知っている母は、私が外泊をすることとセックスをするを繋げるような人では決してなかった。
まあ……家では一切そう言う様子を見せたことがなかった……というのもあり、むしろ「朝陽くんとお付き合いしてみるのもいいんじゃないの?」と薦めることすらあったほどだ。

この母の過干渉から逃れるために、黙って東京行きを決意したはずだ。
なのに、気がつけばまたここにいる。
記憶を無くす前の私は、何を考えていたんだろう?
自分であの牢獄のような人生に戻りたいと考えたの?
あんな、締め付けられる窮屈さに帰りたいと本当に思ったの?

窓を見ると、私の顔立ちは記憶にある自分の顔と確かに違う。
自分のようで自分ではない。
自分はもう少し頬がぷっくりしていて、それがコンプレックスだった。
それが、今はどうだろう。骨張っているようにすら見える。

これは誰?
母は、本当に私と話をしているの?
実は母も、私ではない誰かと私を重ねているのではないか?

窓越しに朝陽の横顔を見てみる。どうしてだろう、ひどく険しい顔。
かつて、こんな表情をした朝陽を見たことがあっただろうか。

「てめえ!」
あんな風に声を荒げる朝陽なんか、見たことあっただろうか。

子供の頃は、ただのいたずら好きなやんちゃ坊主くらいにしか思っていなかった。
高校のころは、変な風に絡んでくるので、正直鬱陶しいくらいにしか思っていなかった。
実鳥からは「あいつああ見えてモテるんだよ、幼なじみとして悔しくないの」と聞かれても「物好きもいるもんだ」くらいにしか思ってなかった。

でも、まるでタイムスリップしたかのような自分には……ずっと優しかった。
ああ、大人の男性なんだなと。
自分の心が、やはり高校時代に取り残されている。

だから……今後ろにいる人が「自分のことを探してきた」という話は、漫画の中の出来事……それこそファンタジーの一幕くらいにしか思えない。
正直いえば、この顔の登場人物をモデルに、BL小説でも書いたらコミケで売れるんじゃないか……なんてことを、今このタイミングで心の片隅で考えてしまっているのは、自分がこの物語の主人公だと思えないからなのだろう。

この二人は「凪波」という人物を奪うために争っている登場人物で
私はそれを客観的に見ているゲームのプレイヤーで、恋愛を疑似体験している。

そう考える方がよっぽど楽だ。
そう考える、恋愛要素が皆無の私の方が、リアルなのだ。
こんな人が自分を迎えに来るだなんて……別人じゃないのかと思った。
同じ名前の同じような顔の別の人を探しているのかもしれない。
でも……。

突然、ラジオから流れてくる曲が変わった。
聞いただけでわかる。
この声は……。

振り返り、後部座席を見る。
目が合う。
暗いので、どんな表情をしているか分からない。

「……どうしたの?」

そう囁く彼の声と、ラジオから聞こえてくる声は、間違いなく同じだ。
この人は、声の仕事をしている。
私が、憧れてやまない仕事の人。
それも……ラジオでリクエストされるような歌を歌っている人。

……そんな人が、どうしてこんなところにいるの……?
どうして、私なんかを探しにきたの……?
どうして、私なんかにキスをしたの?

私は、会釈だけして、また前を見る。

【海原りんご園】と書かれた看板が見えてきた。
それからすぐ、車は大きく左折する。
大きな道路から細い山道に入る。
砂利道のせいで、小刻みに車が揺れる。

間も無く、車が止まる。
ラジオは、すでに違う曲が流れていた。

私は、先ほどのキスを思い出して、体が熱くなるのが恥ずかしかった。
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