スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない

 完璧に似合うように細部まで計算されていると感じるのは、それが彼の身体に合わせて仕立てられたオーダーメイドだからだろう。既製品ではこうもぴったりと身体に合う品を見つけることは難しい。

 しかもスーツを着崩している訳ではないのに、立ち姿には余裕と風格と色気がある。初対面の相手に対してそう感じてしまうのは、照明のほど良い暗さのせいだろうか。

「ここ座っていい?」
「陽芽ちゃんがいいなら」
「ヒメちゃん? 隣いい?」
「えっ、あ……はい」

 陽芽ちゃん、と呼ばれ、スッと意識が戻って来る。普段こんなにも整った顔をお目にかかる機会がないので、ついじっと見つめてしまっていたようだ。人の顔をじろじろ見るものではないと反省し、自分のグラスへ視線を戻す。

「さんきゅ、たま」

 隣から小さな礼の声が聞こえた。横目でちらりと男性の手元を見ると、コリンズグラスには透明の泡が弾け、底にはレモンとライム、細かい氷の上にはミントの葉が乗せられている。彼のオーダー通りの『スッキリした』カクテル、モヒート。

「ヒメちゃん、って名前?」

 コリンズグラスの中身を眺めていたところに突然愛称を呼ばれ、身体ごと心臓が跳ねる。弾かれたように顔を上げると男性の黒い瞳と目が合った。

「あ、はい。太陽の『陽』に、新芽の『芽』に、子どもの『子』で、陽芽子と言います」

 バーカウンターのなだらかな木目の上に、指先で漢字を記しながら説明する。もっとも紙とインクを使用しているわけではないから、そこに軌跡は残らない。けれど陽芽子の指先をじっと見つめていた男性は、すぐに柔らかい笑顔を見せてくれた。

 そして陽芽子の目をじっと見つめたあとで、自分の名前も教えてくれる。陽芽子の真似をして、バーカウンターの木目の上に指先を滑らせながら。

「俺は啓五(けいご)。啓示の『啓』に、数字の『五』」

 後になって思えば。

 そうやって漢字で名前を確認し合った時点で気付くべきだった。もしくはこの時に彼の名字をちゃんと聞いておくべきだった。そうすればあんな後悔はしなかったのに。

 けれどお酒に酔っていた所為か、陽芽子は彼の正体には気付くことが出来なかった。

 この時は、まだ。
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