おじさんには恋なんて出来ない
 次に弾きたそうにしていた人がいたため、美夜はピアノから離れた。

 さて、辰美と再会を果たしたはいいものの、どうしようか。嬉しいけれど気まずい再会だ。なにせ、六年前自分は辰美にフラれたのだから。

「元気そうですね」

「え? あ、はい……」

 ────元気そうだなんて、少し前に私のコンサートに来たじゃないですか。なんて言えるわけもなく、しどろもどろと返事をする。

 もしかして、辰美は会いに来たわけではないのだろうか。だとしたらぬか喜びだ。自分一人で舞い上がって、再会を喜んでいた。

 ただ昔の知り合いがピアノを弾いていたから声を掛けただけなのだとしたら、これ以上どうすればいいか分からない。

「この間のコンサートも……とてもよかったです」

「あ……」

 聴きに来てくれたんですか。知ってました。あの曲のこと、覚えていますか。頭に次々質問が浮かぶ。

 どうしよう。辰美が質問している。答えないと。

「た……っ辰美さん、来てましたよね」

 妙に語尾が上がって変なイントネーションになってしまう。辰美は少し間を置いて、「はい」と微笑んだ。

「あの、お花……」

 あの花はあなたがくれたものですか、と聴きたい。だが、呂律が回らない。完全に挙動不審な女だ。

「美夜さんの頭に飾っていたものと同じ花です」

 辰美は言いたいことが分かったようだ。やっぱりそうだった。あの花束は辰美から贈られたものだったのだ。

「ありがとう、ございます……」

「本当は、直接渡したかったんですが……君は芸能人だから」

「そんな、芸能人なんて……全然売れっ子じゃありません」

「あんな大きなホールで演奏にできるようになったんだから、十分すごいことですよ」

 変だ。今まで色んな人に褒められてきたが、やっぱり辰美に褒められるのが一番嬉しい。たとえお世辞だとしても信じたかった。

 夜の街に人が流れていく。美夜は辰美としばらく立ったまま佇んだ。目の前で誰かが演奏しているピアノの音を聞きながら、時が永遠に止まってしまえばいいのになんて考える。

 けれど、そんな時間は終わりを告げた。演奏が終わり、ピアノの椅子は無人となる。

 いつまでもここに辰美を引き留めることはできない、彼はきっと仕事帰りだろう。なら、このまま家に帰るのだろうか。

「辰美さんは……お仕事帰りですか」

「はい。帰ろうと思っていました」

 引き留めないと、辰美が行ってしまう。このまま、また他人に戻るのか。けれど引き留める理由がない。また離れ離れになってしまうなんて嫌だ。

「美夜さんは……まだ、ジャルダンでお仕事されてますか」

 ジャルダン────辰美と初めて食事した店の名前だ。

「は、はい。前より頻度は少なくなりましたけど……」

「もしよかったら……これから一緒に、いかがですか」

「っ行きます」

 がっついた女だと思われるのは嫌だ。けれど、このまま辰美と離れてしまう方がもっと嫌だった。

 誘ってくれた理由は分からないが、そんなことはどうでもいい。まだこのまま一緒にいたい。

 辰美は変わらず笑みを浮かべたまま、「行きましょうか」と誘った。
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