おじさんには恋なんて出来ない
 辰美が取引先と電話している最中だった。机の上に置いた自分のスマホに明かりが灯り、バイブが音を立てて震えた。

 ちらりと視線を向け、スマホの画面を確認する。誰からか確認するだけのつもりだったが、画面に表示された文字を見て辰美の意識は完全に逸れた。

「坂下雪美」。元妻、雪美の旧姓。あれ以来見ることのない名前だった。

『日向君? 聞いてるかね?』

「あ……失礼しました。それで、納期の件ですが────」

 ────なぜ、雪美が?

 なんとか電話を続けたものの、辰美は気もそぞろでなかなか話に集中できなかった。

 スマホはしばらく震えていたが、辰美が電話に出ないと、そのまま途切れた。

 雪美とは離婚以降連絡を取っていない。すべて終わらせ、連絡を取る必要がないようにして別れた。だから今更連絡してくる必要はないはずだ。

 それとも、何か急用でもあるのだろうか。他人になった自分達にはそんな用事などないはずだが────。

 仕事が終わったら連絡しようと放置していると、またスマホが震えた。今度はメッセージだった。差出人は、雪美だ。

『久しぶり。話したいことがあるから、どこかで会えない?』

 離婚をして一年以上経った関係の割にはフランクな文章だった。まるで旧友に連絡するような。

 しかも、自身の浮気が原因で離婚した元夫に送るにしては、あまりにもあっけらかんとした態度。

 辰美は呆れにも似た感情が芽生えた。離婚して一年経つが、彼女には申し訳なかったとか、連絡しづらいとか、そんな感情はないのだろうか。

 ないのだろう。だからこんな簡単な文章でメッセージが送れるのだ。あの浮気でどれだけ傷付いたか、彼女はきっとまだ理解できていない。別れる直前ですらそうだったのだから。

 そのあと、雪美のメッセージのせいか仕事には全く集中できなかった。

 ようやく仕事が終わると、辰美は駅へと急いだ。なんとなく、連絡したくない。別れた直前のことを思い出して、億劫になる。

 電話はしたくなくて、メッセージで返事することにした。

『お久しぶりです。忙しいのでメールで話せませんか』

 あくまでも他人になったという態度を崩さず、文章を送った。返事はすぐに返ってきた。

『会って話したいの』

 こちらの意思をまるで無視した返信。しかし、それだけ重要なことなのだろうか。

 こんな嫌な感情をズルズルと抱えているのが嫌で、辰美は『今日、これから会えますか』と返した。

 思った通り、雪美はすぐに返信してきた。待ち合わせ場所をJR大森駅のコーヒーショップに指定して、雪美の返事は途切れた。
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