【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
27 その溺愛、契約外だと思います
「……溺愛?」

 人生で一度も関わったことのない単語に固まっていると、グレンがステラの手をすくい取った。

「愛しい妻を心から愛する、ということだよ」

 そう言うと、ステラの指に唇を落とす。
 柔らかな感触に驚いて手を振りほどこうとするが、放してくれない。

 それどころか至近距離でじっと紅玉(ルビー)の瞳に見つめられ、どうしたらいいのかわからない。
 幾度も見たはずなのに、こんな風に心が落ち着かないのは初めてだ。

 何だか顔が熱くなってきたが、これは緊張のせいだろうか。
 視線を逸らさずにいたグレンは、にこりと微笑み、ようやく手を放してくれた。


「うん、大丈夫。ステラの乙女心は消えていないよ。色々あって、深く眠っているだけだ。……俺が、それを起こしてあげよう」

 言われている意味は完全には理解できないが、もしもステラの乙女心が本当に眠っているだけだとしたら。
 それを起こすなんて、とんでもないことだった。

「だから、結構です。平民として暮らすのに必要ありませんし」

 恋をして結婚したいというのならともかく、ステラの目標は薬師であり魔女なのだから、余計なものに時間を割く暇はない。

「遠慮せずに、俺に溺愛されろ」

 グレンの眼差しは今までと何かが違っていて、そのせいで何だか心が落ち着かない。
 距離を取ろうとするが、馬車の中には限りがある。
 背に壁が当たったステラは、獣に追い詰められたような錯覚に陥っていた。


「その溺愛、契約外だと思います」

 困惑しながら訴えると、紅玉(ルビー)の瞳の美青年は気にする様子もなくステラを見つめる。

「可愛い君が悪い」

 伸ばされた手はステラの頬を滑るように撫で、グレンは口元を綻ばせた。
 色っぽいその笑みに、ステラの混乱はさらに深まる。
 あくまでも契約上の関係だったはずなのに、何故こんなことになったのだろう。

 わからない。
 わからないけれど――これは、駄目だ。

 動揺したステラは、どうにか事態を打開しようと、咄嗟にグレンの耳に手を伸ばす。
 椅子の上にちょこんと座る黒猫の姿に危機を脱したことを知り、ほっと息をついた。


「何だ。自ら俺に触れてくれたのは嬉しいが。猫目的か?」
「危機回避です。……あと、癒しを」

 よくわからない追い詰められかたをして、何だか疲れた。
 モフモフのひとつもできなければ、割に合わない。
 肌触りのいい毛を撫でて心を落ち着けていると、黒猫の尻尾がゆらりと揺れた。

「まあ、今日はそれでいいよ。ステラの乙女心は眠っているだけだとわかったし。これから頑張るとしよう」
 猫の姿なので赤い瞳を見ても平気だが、それにしても言っている内容がやはりおかしい。

「本当に、どうしたのですか? 恋人にでも振られました?」
「何だ、恋人って。俺には妻がいるぞ」
 不満そうに尻尾をブンブンと振っているが、黒猫姿ではただ可愛いだけだ。

「でも、私はあくまでも契約で、一時的ですし。グレン様はモテますよね?」

 以前にも恋人はいないと言っていた気はするが、あれから時間も経過しているので変化していてもおかしくない。
 一度ダンスをしただけでのめりこんで呪う女性が出るほどなのだから、推して知るべしである。

「どうして、そう思うんだ?」
「格好いい男性で、伯爵ですし。貴族女性も放っておかないだろうと思います」
「……そうか」

 今度は尻尾が大きくゆらゆらと揺れ出した。
 何となく嬉しそうに見えるのは、ステラの気のせいか、あるいはただシュテルンが可愛いからだろうか。


「恋人はいない。さっきも言ったが、俺には妻だけだ。……それにしても、妻に格好いいと言われるのは嬉しいものだな」

「妻って」
「妻だろう?」

 黒猫が首を傾げれば、それは人間の五倍の可愛らしさ。
 自然とステラの口元は緩み、気が付けば背を撫でていた。

 猫の可愛らしさは、正義。
 とても抗うことなどできない。

 すると、おとなしく撫でられていたシュテルンがステラの膝に乗った。

「屋敷まで、こうしていてくれ」
「は、はい」

 これは、クッション代わりに膝を提供しろということだろうか。
 目の前にモフモフの猫がいれば、当然撫でる。
 暫しシュテルンの毛並みを満喫していると、段々と心も落ち着いてきた。


 それにしても、さっきのグレンは何だったのだろう。
 乙女心云々もよくわからないが、何故溺愛するなんてことになったのか、まるで理解できない。

 これが世に言う、気の迷いというやつか。
 あるいは、男っ気のないステラをからかっているのだろうか。

 釈然としないまま、膝の上のシュテルンを撫で続ける。
 人を困惑させておいて気持ちよさそうに目を閉じているのだから、何だかずるい。

 一瞬とはいえ夫だったスケベおやじは、舐めるような視線だけでも寒気がしたのに、グレンには触れられても嫌ではなかった。
 これは経緯の差か、容姿の差か、あるいはステラの年齢が上がったことで耐性ができたのか。

 何にしても、契約相手であるグレンの希望だ。
 閲覧権のためでもあるし、少し付き合えばきっとすぐにステラにかまうのも飽きるだろう。

 そう結論を出すと、膝の上のモフモフを満喫するべく滑らかな毛を撫で続けた。
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