【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
34 魔法薬と魔女の力
「ステラ。最近はどうですか?」

「はい、院長。傷薬の即効性を高める調合に目途が立ってきました。余計な作用を抜いた微量の魔力を流すことで、血流を促して吸収速度を増します。ただ、余計なアレを防ぐにはかなり細かい調整が必要で、疲労が凄いのが難点です。でも集中して頑張らないと怪我の治癒と共に毛玉になってしまうので、これに関しては私の個人的な鍛錬が必要でしょう」

 小瓶に入った薬を見せながら深緑色の瞳を輝かせて報告するが、何故か院長は困ったような顔をしている。

「ああ、いえ。そうではなくて。ウォルフォード伯爵と、です」
「最近は忙しそうになさっています。おかげで勉強がはかどります」
 小さく拳を掲げて見せるが、やはり院長は困った顔のままだ。

「いえ、そうでもなくて。……伯爵は、ステラを溺愛すると言っていましたよね」
「言っていましたね」
「……嫌、なのですか?」

 淡々と答えたせいで、どうやら無用な心配をされているようだ。
 これではグレンにまで迷惑をかけてしまう。
 否定するためにステラは微笑むと、小瓶をポケットにしまい、ゆっくりと首を振った。

「いいえ。グレン様はとても優しいです。溺愛という名目のために、律儀に私に構ってくださいます。ですが、もう少しで契約も終了です。勘違いすることなくしっかりと役割を果たし、閲覧権を手に入れたいと思います」

 今度は高々と拳を掲げたのだが、それを見る院長の表情は曇ったままだ。
 きちんとフォローしたし笑顔だったと思うのだが、何故だろう。


「ステラ。無理はいけませんよ」
「そんな無茶な勉強はしていませんが」
「違いますよ」

 院長は困ったように笑うと、ステラの隣の椅子に腰かける。
 今はお昼の休憩時間なので、カウンターにも人がいない。
 最近は休憩時間も調べものをすることが多かったので、こうして院長とゆっくり話をするのも久しぶりだった。

「今まで、ステラには色々ありましたから。心から信じたり、他人を頼ったり……人を愛したり。そういうことから遠ざかるしかない状況でした。でも、人は一人では生きていけません。あなたが素直な心を出せるように……伝えられるようになると、いいですね」

 それは、どういう意味だろう。
 ステラが口を開きかけた瞬間、入口の扉が大きな音を立てて勢いよく開かれた。


 何事かと残っていた職員が一斉に視線を向けると、そこには服を真っ赤に染めたグレンがもう一人の男性と共に、ぐったりした人を抱えていた。

「――グレン様⁉」

 ステラは慌てて椅子から立ち上がると、院長と共に扉の方へと駆け寄る。
 風に乗って生臭い血の匂いが室内に広がっていく。

 服を染める赤からして、相当な出血だ。
 どんな怪我かわからないが、一刻を争うのは明白である。

「グレン様、大丈夫ですか⁉」
「ウォルフォード伯爵、何があったのです」

 ソファーに横たえられた男性の腹部は真っ赤で、出血しているのは明らかだ。
 もう一人の男性が布を当てて傷を押さえているが、圧迫だけではとても止血が間に合っていない。

「俺は何ともない。フレッドが――部下が、刺された」
「とりあえず、傷を見せてください」

 院長は男性を押しのけると、血に染まってずっしりと重そうな上着をはだけさせる。
 ステラが清潔な布を用意して渡すと、院長はそれで血を拭う。

 傷口はそれほど大きくないが、すぐに血が滲んで隠してしまった。
 傷自体の深さがあるか、大きな血管を損傷したのだろう。

「清潔な布、それからありったけの魔法薬を用意してください!」
 院長の叫びで、休憩室から顔を出してきた職員達が慌ただしく動き出す。


「それで、何故こんなことに?」
「不正疑惑のある貴族の屋敷に確認……いや、捕縛と言った方がいいか。騎士も同行していたが、運悪く隙をつかれた。この傷では、王城の医務室まで運んでいる余裕はない。止血だけでも、どうにかできないだろうか」

 院長は職員が持ってきた新しい布を手に取ると血を拭い、用意された魔法薬を一気にぶちまける。

「傷が深く、出血が激しいです。普通の薬や縫合ではとても間に合いません。ただ、魔法薬でもどうなるか……」
「院長、在庫はそれだけです。今、急いで製作を始めましたが、調合から始めますから……」

 職員の言葉に、院長の表情が曇る。
 材料を量るだけでも時間がかかるので、とても今から作っていては間に合わないだろう。
 傷を負った男性の顔色はみるみる青白くなっており、一刻の猶予もない。

「院長、私の薬の使用許可を。魔力を重ねて流せば、効果が増すはずです」

 本来、患者に使用する薬は何度も試験を繰り返して相応の安全性を確認する。
 ステラのそれは、ようやく一回目の試験を通過したばかりで、患者に使用するべきではない。

 だが、追加の魔法薬はなく、他の方法では間に合わないのは明白。
 何もしなければ確実に死ぬのだから、できることは試したかった。


「責任は、私が。何かあれば、私を罰してください」
「ステラ⁉ 無茶を承知で頼んでいるのはこちらだ。誰かが責任を取る必要があるのなら、それは俺だろう」

「馬鹿を言うものではありません。この治癒院の院長は私です。全責任は私が取ります。――ステラ、やってみなさい」
「はい!」

 院長と交代して男性の横にひざまずいたステラは、ポケットから取り出した小瓶の中身を傷にそっとかける。
 血に染まった布を新しいものに取り換えて傷の上に置くと、そこに自身の手を乗せた。

 傷を治す作用自体は、薬によるもの。
 ステラは魔力でそれを促し、補助するのが仕事だ。

 集中して魔力を研ぎ澄まし、ゆっくりと薬を傷口に染み渡らせる。
 普段は魔力と共に血液の流れを増しているが、今日は逆だ。
 体全体を魔力で包み込み、流れを滞らせ、せき止め、代替路を探し、そちらにつなげる。

 少しの集中の乱れも許さぬ繊細な作業に、ステラの呼吸は乱れ、汗がつたって目に入った。
 だが、それを拭っている余裕はない。
 目を閉じて、ただひたすらに集中し、魔力を流す。


 どれだけの時間が経ったのかは、わからない。
 ふと、小さなうめき声が聞こえて目を開けると、先程まで青白い顔で意識を失っていた男性が目を開けてこちらを見ていた。

 手元を見れば、布に新たな血は滲んでいない。
 止血できたのだとわかった瞬間、笑みがこぼれ、同時に体中の力が抜けていく。

 体が泥に沈められたかのように、重いし、動けない。
 誰かの声が聞こえた気がしたが、もうそれもよくわからない。

 ステラはそのまま、ゆっくりと意識を失った。
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