【11/25書籍発売予定】契約外溺愛 ~呪われ猫伯爵に溺愛宣言されたが、勘違いする乙女心は既にない。……いえ、取り戻さなくて結構です!~
44 乙女心は未練がましいです
「……へ?」
 ぽかんと口を開けるステラをちらりと見ると、ジェマは少し気まずそうに視線を逸らした。

「今回、旅に出る前に言ったでしょう? 実入りのいい依頼があったって」
「それでは、グレン様に会ったのですか?」

 呪いをかけるというのがどういうものかはわからないが、ステラの魔法と同じようなものなら顔も見ずに遠隔では難しいだろう。
 それに、グレンは呪いをかけた魔女に会って解呪方法を聞いたと言っていたはずだ。

「もともと、依頼主はウォルフォード伯爵に酷い捨てられ方をしたから、完全に猫にしてほしいって言っていたのよ。でも、正直胡散臭くてね。だいぶ弱めて、耳に触ったら一時的に猫になるようにしたの」

「胡散臭いのなら、請け負わないでくださいよ!」
「だって、いいお金だったのよ。それに、わざと本人に接触して、ちゃんと解呪方法も教えたわよ?」

「その方法は無理だと言っていましたよ?」
「えー? まあ、うーん……」

 場合によっては捕まって処罰されるところを、グレンに接触して解呪方法を伝えたのは評価できる。
 だが、胡散臭いとわかっていながら依頼を受けるあたり、お金が絡むと本当にジェマは困った人間だった。


「それで、今は中和してどのくらいになっているの?」
「猫姿になって当初は戻るまで半日ほどかかっていたようですが、今は数時間くらいだそうです」

「うん? それはまた、随分と効いているわね。さすがに中和だけでそこまで効果が出るとは思えないんだけど。……まさか」
 何やらぶつぶつと呟いたかと思えば、ジェマが意味ありげに視線を向けてきた。

「……手、出されていないわよね?」
「さっきも言いましたよね」
 じろりと睨むと、ジェマはほっと息を吐き、次いで頭を掻き始めた。

「えー? じゃあ、何なのかしら。一方通行ってこと?」
「何の話ですか」
 ジェマはもともとよくわからないことを言うが、今日も順調にわけがわからない。


「うーん。ちょっと魔女の守秘義務的に解呪方法についてはさすがに言えないんだけど。このまま夫婦を続けていれば、いい線いくかもしれないわよ」

「中和がそんなに効いているのですか。でも、もう少しで契約切れです。……それに、私の師匠が呪いをかけた魔女だったなんて、信頼もへったくれもなくなります。いい機会なので、契約終了にしてもらいましょう」

 中和の効果が出ているのは嬉しいが、結局完全に治すことは不可能だ。
 それに、ジェマが呪いをかけたとわかった以上、その弟子であるステラがのうのうと中和するわけにはいかない。

「ええ、ちょっと。大体、一年間結婚していないと閲覧権が手に入らなんでしょう? あんなに欲しがっていたじゃないの」

 そう、とても欲しかった。
 もっと勉強して、薬師としての腕を上げて、『ツンドラの女神』として陰で活動しなくても生活できるようにしたかった。

 でも、グレンを騙すような形でこのままの関係を続けるのは、耐えられない。
 好きだからこそ、もうそばにいない方がいい。

 迷惑をかけて嫌われるくらいならば、中和をした魔女がいたとグレンの記憶の片隅に残ることができれば十分だ。

 かえって、口実ができて良かったのかもしれない。


「――私、隣国に行きます」
「ええ⁉」

「コーネルの継母に見つかりました。金蔓にされそうです。『ツンドラの女神』の仕事の関係で愛人の噂もあって伯爵家にも迷惑をかけますし、いい機会です。この国を出て、一から頑張ってみようと思います」

 ジェマや院長と離れるのは寂しいが、彼女達にも少なからず迷惑をかけている。
 もう何もできない子供ではないのだから、そろそろ自立して一人で生きていかなければいけないだろう。

 精一杯の笑みを浮かべるステラだが、それを見るジェマの表情は曇っている。

「……ステラは、それでいいの?」
「はい」

 そうだ、これでいい。
 大丈夫、また強い自分に戻れる。
 一人でも、生きていける。

 ステラは微笑むと、求人票を持って部屋を出た。



 仕事を終えてウォルフォード邸に戻ったステラは、早速自室で手紙を書き始めた。

 師匠であるジェマが、グレンに呪いをかけた魔女であること。
 知らなかったとはいえ、弟子であるステラが中和を請け負うのも不快だろうから、契約を終了してほしいということ。

 王立図書館の閲覧権も、報酬もすべて辞退すること。
 今まで迷惑をかけて申し訳なかったということ。

 すべてを書き終えると、左手の薬指から指輪を抜き取り、封筒の中に入れて封をし、机の上に置いた。

 それから、唯一残っていた私物である服に着替えると、室内を見回す。
 もともと、ここに来た時は手ぶらだったのだから、元に戻るだけだ。

 大丈夫、この契約期間にたくさん勉強できたし、きっと隣国でもやっていける。
 困った噂がないだけ、生活しやすいかもしれない。

 ふと、胸元に光るネックレスが目に入ったが、これも置いていくべきだろう。
 外そうとして……その手が止まる。

 星形の飾りに赤い石がはめ込まれたこれは、ステラがこの屋敷に来る時にグレンがくれたものだ。
 あの時、契約云々ではなくて、お詫びだと言っていた。
 ならば、これだけは持って行ってもいいだろうか。

 ひとつだけなら、グレンとの思い出を抱えても許されるだろうか。
 外しかけたそれを首に戻すと、乾いた笑みがこぼれた。

「未練がましいですね、乙女心って。本当に、邪魔です……」

 いつの間にか頬をつたっていた涙を拭うと、ステラは自身の頬を叩いて気持ちを切り替えた。


「よし、行きましょう!」

 本当ならば、グレンに直接会って謝罪をして、契約終了の話をするべきだ。
 だが、顔を見れば乙女心がうずいて面倒なことになりかねない。

 優しいグレンは一年間の契約は果たすと言うかもしれないが、それは駄目だ。
 それにジェマと共謀して閲覧権を手に入れようとしたのではと疑われでもしたら、恐らくステラの心は死んでしまう。

 契約を終えた場合のグレンの不利益は、中和ができなくなること。
 これに関しては院長に代理の魔法使いを紹介してもらえるよう頼めばいいし、いくつか伝手も手紙に書いておいた。

 逆に利益は山ほどあるのだから、問題はないだろう。


「ステラ様?」
 部屋を出て扉を閉めるとすぐに、背後から声をかけられる。
 振り返ったステラを見て、シャーリーはほんの少し眉をひそめた。

「そんな恰好でどちらに?」
 もっともな疑問だが、正直に答えたらきっと止められるのだろう。

 グレンはもちろんだが、この屋敷の使用人達は皆優しいのだ。
 だからこそ、もう迷惑をかけたくはない。

「たまには着たくなるのです。本来の私は、この姿ですから」
「もちろん、その服もお似合いですが……」

「グレン様は、今日も遅いのでしょうか?」
「いえ、もうお戻りになっています。お客様とお話し中です」

 帰宅していたのは予想外だが、来客中ならば暫くはステラに接することもないだろうから、ちょうどいい。

「わかりました。ありがとうございます」
「……ステラ様? 何かありましたか?」

 鋭い指摘に驚きつつも、穏やかな表情は崩さない。
 グレン以外にならきちんと今まで通りできることに、少しばかり安心した。

「何もありませんよ。大丈夫です」
 笑顔で背を向ければ、シャーリーも追いかけてはこない。

 日頃から庭を散歩したり、屋敷内で使用人の手伝いをしているので、ステラがうろついても特に不自然ではないからだろう。

 それを証明するように、何人かの使用人ともすれ違ったが、皆挨拶を交わすだけでそのまま通り過ぎた。

 正面の玄関から出ては、さすがに外出だとばれるし、馬車を用意されかねない。
 ステラは使用人達が使う裏口から屋敷を出ると、そのまま街へと向かった。
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