訳あり令嬢は次期公爵様からの溺愛とプロポーズから逃げ出したい
 男性としてギルフォードを意識して、それからの展開が早すぎた。あのとき、エルセが扉を叩かなければフューレアはギルフォードに口づけをされていたのだろうか。

 唇と唇の口付けはとても特別なものだと聞いている。
 旅の最中に訪れた隣国で観た舞台では、愛し合う恋人同士が最後結ばれるときに口付けを交わしていた。愛を誓い合い、その証として舞台の上の姫は王子に唇をささげた。

 あれと同じことをギルフォードとしたら、それはどのような心地のものなのだろう。
 ほんの少しだけ、その先を知りたいような気がした。

 それと同じくらい、ためらう心もあって。
 どちらの気持ちもフューレアの中で拮抗している。

「フュー、私はきみのお兄様ではいられないんだ。きみを女性として愛しているから。きみを欲しいと思うし、きみにも私を男としてみてほしい」
「あの……だって、その急なんだもの。わたし……」

 フューレアはしどろもどろに答えた。今の自分の気持ちをどう表現していいのか分からない。拒絶をすることは簡単なのだろうけれど、ギルフォードはフューレアにとって大事な人だ。彼を傷つけたくはない。
 なかなか二の句を継げないフューレアに、ギルフォードのほうが口を開く。

「そうだ。このあいだつけペンを贈ると言ったよね。今から文房具店に見に行こうか」
「いいの?」
「もちろん。新しい封蝋印も見る?」
「ええ。見たいわ」

 先ほどまでの切なげな声から一転、いつものギルフォードの口調になってフューレアはホッとした。お出かけ先が文具店となり心を浮き立てる。

 ホッとしたのもつかの間。立ち上がったギルフォードはごく自然にフューレアの手を繋いだ。
 どきりとしたが、「このくらいは許して?」と言われてしまい、どうにか平静を装い頷いた。

 手を繋ぐことくらい今までもあったのに、今日に限ってギルフォードはお互いの指と指を絡ませる繋ぎ方をした。これまでとの関係とは違うと示されているようでもある。

(でも……)

 馬車に乗り込むときに手を離して。
 フューレアはそっと自分の手のひらを眺めた。先ほどまでの温もりが懐かしい。

 お兄様ではいられない、というギルフォードの言葉が頭の中に蘇る。

 それは、これからの二人の関係性を暗示するもの。手のつなぎ方ひとつをとっても、幼なじみと恋人では違うのだ。

 初めてのことに戸惑うのに、彼との距離感の変化を受け止めている自分がいるのも確かで。
 馬車の中で隣に座ったギルフォードをそっと伺う。

「どうしたの?」
「ううん。なんでも」

 目が合い、フューレアは慌てて正面を向いた。馬車が動き出す。
 少しして、ギルフォードが「きみに触れてもいい?」と尋ねてきた。

「変なことは駄目よ」
「変なことってどういうこと?」
「……」

 余裕な顔と声に唇を尖らせる。なんなんだ、この余裕。悔しい。
 ギルフォードはフューレアの髪の毛を優しく撫でた。

 さらさらとした髪の毛を、ギルフォードの指がもてあそぶ。彼はそれ以上のことはせずに、ただフューレアの髪の毛を撫でるだけ。何度も同じことをされると、こそばゆくなってくる。まるで、胸の奥を羽でくすぐられているような、不思議な感覚。

 昔から知っているような安心感に身を包まれる。
 会話が無くても、不思議と気にならない。思えばギルフォードはいつもフューレアに寄り添ってくれていた。

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