訳あり令嬢は次期公爵様からの溺愛とプロポーズから逃げ出したい
「聞いていないわよ、そんな話」
「もしかしたらの話よ。それよりも今はあなたのことよ」

 ローステッド夫人は頬に手を当て、指でせわしなく己の頬を叩く。

「このままだとあなたの将来にも差しさわりが出てしまうわ」

 ああもう困ったわね、と夫人は何度もため息を吐いた。
 ローステッド侯爵家はそれなりに歴史のある家柄だ。現に今年デビューをしたヴィヴィアンの元には沢山の招待状が舞い込んでいた。舞踏会に顔を出せばちやほやされるし、そのうちの何人かからは個人的な招待の手紙だって届いた。

「わたくしは公爵家の娘よ。どうしてわたくしの将来に差しさわりが生じるのよ」
「だって、ねえ。ヴィヴィアン」

 ローステッド夫人がその次の言葉を発しようとしたとき、居間の扉が開いて、父である侯爵が入ってきた。

「ああ、帰っていたのか。……こちらからの謝罪は断られたよ。ギルフォード・レーヴェンが手紙を寄越してきた。形だけの謝罪を受けたら、許さなくてはならない。己が望むのは今後婚約者であるナフテハール嬢に貴殿の娘が二度と近づないこと、だそうだ」

 ローステッド侯爵の話を聞いた夫人が額に手を当てて数歩よろけた。
 よろよろと椅子に座り、いよいよ顔を蒼白にさせる。

「あなた、どうするの。ナフテハール男爵家からも音沙汰がないのでしょう?」
「ああ。引き続き謝罪をするしかないだろうな」
「どうしてそこまでするのよ! どうせあの女が同情を引いているだけだわ!」

「ヴィヴィアン。嫌いな相手なのは分かるけれども、今回はやり方がまずかったわ。しかも大勢の人々に見られてしまって」
「あの女が飛び込むからいけないのよ」

 むしろ大事にしたのはフューレアの方だ。
 どうしてヴィヴィアンがここまでされなくてはならないのか、納得がいかずに不貞腐れてしまう。

「ヴィヴィアン」

 基本的には娘に甘い侯爵夫人は頑ななヴィヴィアンに柳眉を下げた。彼女も本音ではなにもここまで、と考えているのだ。娘同士のちょっとした諍いに、どうしてここまで怒りを爆発させるのか。大人げないではないか、と。

 しかしレーヴェン公爵家の動向は社交界を動かす力がある。ギルフォードが今後一切フューレアにヴィヴィアンを近づける意思がないということになれば、最悪ヴィヴィアンはロルテーム社交界からはじき出されてしまう。

 今はまだ静観している家だって、レーヴェン公爵家の意思が固いことを知れば彼らのご機嫌取りに走ることだって考えられるのだ。
 力のある家の夫人に嫌われたら社交界では惨めな思いをするだけだ。

「こうなった以上、おまえは外国へ嫁いだ方がいいかもしれん。ナフテハール嬢がレーヴェン公爵家に嫁げば、彼女のほうが立場は上になるだろうしな。ギルフォードの怒りが解けなければ、おまえも肩身の狭い思いをするだろう」

「そうねえ。隣国のフラデニアならばそう遠くもないし、アルンレイヒか、ネイデンか……あなた、外国人の集まる夜会でよさそうなものを選んでおいて頂戴」

「ど、どうしてわたくしが……」
「ヴィヴィアン、あなたのためなのよ」

 その日の晩、ヴィヴィアンは腹の中に溜まった憤りを発散するために寝台の上のクッションを何度も何度もたたいた。

  * * *

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