ふたつ名の令嬢と龍の託宣

【第16話 消えた託宣】

 公務を終えたハインリヒの後ろ姿を追いながら、長い王城の廊下をジークヴァルトは足早に進んでいた。王太子の執務室まで警護をしたら、あとは引き継ぎの近衛(このえ)の騎士にまかせて公爵領に帰る予定だ。

 目の前を歩くハインリヒは、白の夜会以降ますます機嫌が悪い。当たり散らすようなことはないのだが、その張り詰めた空気を前にした、周囲の者の気の使いようは、(はた)で見ていて気の毒になってくるほどだ。

「王子殿下」

 目的地である執務室を素通りしようとしたハインリヒの前に回り、行く手を(はば)むように声をかける。ハインリヒは立ち止まって振り返り、行き過ぎた扉を認めると、仏頂面(ぶっちょうづら)のまま黙って執務室に入っていった。

 本来ならこのまま帰るところなのだが、ジークヴァルトは扉の前の近衛騎士に目配せして、ハインリヒの後に続いて執務室へと足を踏み入れた。

 ハインリヒは椅子に座るでもなく、自身の執務机の前に立っている。手にした小さな(かぎ)を指で(もてあそ)びながら、引き出しの一点をただ見つめていた。

「おい」
「……なんだ、まだいたのか。さっさと帰ればいいだろう」

 そう冷たく言ったハインリヒは、ようやく執務机の椅子にどさりと腰かけた。

 ハインリヒが何を思い悩んでいるのか、ジークヴァルトも分かってはいる。だがそれは、ジークヴァルトにも、ハインリヒ自身にも、どうにもすることはできないものだ。

 世の中の事象には二種類ある。
 そのひとつは、自分の行動次第でどうにかできる事。もうひとつは、己の力ではどうにもならない事だ。
 後者を(うれ)いて思い悩んでも時間の無駄だ。どれだけ時間を費やそうとも、それを解消するなどできはしないのだから。

(以前のオレならば、そう切り捨てていたのだろうな)

 不機嫌に沈むハインリヒを目の前にして、ふとそんなことを思う。だが、自分は変わったのだろう。他でもない、彼女の存在によって。

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