ふたつ名の令嬢と龍の託宣

【第19話 氷の王子】

 眠ると、必ずアンネマリーの夢を見る。

 あの庭で、少し距離を置いた場所に座るきみ。まぶしくて、あたたかくて、ここちよい。向けられる屈託のないその笑顔は、揺れる木漏れ日そのものだ。
 自分の弱さも、ずるさも、当たり前のようにすべてやさしく包んでくれる。

 手を伸ばせば、すぐそこにいる。誰よりも、愛おしいきみ――


 人の気配感じて、ハインリヒははっと意識を戻した。書類を手にしたまま、少し転寝(うたたね)をしていたようだ。数度、頭を軽く振ってから、備え付けられた本棚へと視線を向けた。

 しばらくするとの壁の奥でカチリと音が鳴り、その本棚が横にスライドしていく。棚が移動したその奥には、暗い通路が奥まで広がっている。冷やりとした風の流れができて、その暗がりからジークヴァルトが姿を現した。

「ハインリヒ……まだ起きていたのか」

 そう言いながらジークヴァルトは本棚の一冊を奥へと押しこんだ。再びカチリと鳴って、本棚が重い音を立てながら元の位置へと戻っていく。

「眠れないのか?」

 自室の書斎に執務を持ち込んで、夜更けまで書類に目を通していたハインリヒに、ジークヴァルトは気づかわし気な声音で問うた。

「ああ、何かしていた方が気が紛れる」

 正確には眠れないのではなく眠りたくないだけだ。だが、そんなことをジークヴァルトに言っても意味はないだろう。

「ヴァルトは気にせず先に休んでいろ。昔、乳母が使っていた部屋を整えさせた。そこを好きに使え」
「いや、いい。オレはここで寝る」

 そっけなく言った後、ジークヴァルトは()いているソファに腰をかけた。そのまま腕を組んだかと思うと、目をつぶって黙り込む。
 その様子を黙って見ていたハインリヒは、しばらくしてからあきれたようにため息をついた。

「何を心配しているのか知らないが、わたしはリーゼロッテ嬢のところに夜這いに行ったりはしないぞ」

 このハインリヒの自室は、王太子妃の部屋である星の読みの間に、隠し通路でつながっている。ジークヴァルトは先ほどそこを通って、リーゼロッテに会いに行ったのだろう。

 グレーデン家に星を堕とす者が現れたことは、ハインリヒも報告を受けている。リーゼロッテが星読みの間で保護されているのもそういう経緯からだ。王妃の離宮は王による加護が厚い。異形に対する守りならば、国内随一の場所と言えた。

「そんなに心配だったら、向こうに行ったまま戻ってこなければいいだろう」

 投げやりに言って、ハインリヒは手にした書類に再び目を落とした。本当にジークヴァルトは変わったと心底思う。こんなにも一人の女性に執着するなど、未だに信じがたいことだ。

 重く長い息をつきながら、書類をめくる。その文字を目で追うものの、頭になど入ってこない。この脳裏を巡るのは、あきれるくらいアンネマリーのことばかりだ。
 さすがに自分でも頭がおかしくなったのではないかと思っている。彼女と共に過ごしたのは、本当に僅かな時間だったのだから。

 アンネマリーを忘れることはあきらめた。最近では、そんなふうに開き直っている自分に対して、もはや投げつける言葉もみつからない。

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