ふたつ名の令嬢と龍の託宣
【第3話 猫かぶり姫】
「え? お誕生日なのにお祝いをしないの?」
「ああ、言われて見れば今日は旦那様の誕生日でございましたね。そうですねぇ、毎年、特別これといったことはしておりませんねぇ」
ジークヴァルトが執務机で書類に集中している隙に、今日の予定をこそりと問いかけてきたリーゼロッテは、驚きながらもさらに声のトーンを落とした。
「でも贈り物などはするのでしょう?」
「いえ、それも特には……。お伺いしても毎年欲しい物はないということで、旦那様が七歳になった年から祝うこともなくなりましたので」
紅茶をサーブしながら答えると、リーゼロッテは絶句している様子だった。
「わたくし、贈り物を用意してしまったのだけれど、ご迷惑だったかしら……」
「左様でございましたか。それは旦那様もおよろこびになられると思います。リーゼロッテ様のお心遣いを無駄になどできませんので、このマテアスが何とかいたしましょう」
懐に手を入れると、マテアスは黒い手帳を取り出した。ページをめくって何かを確認すると、ぱたりと片手でそれを閉じる。
「生憎と午後からはどうしてもはずせない来客がございますが、昼食時の三十分なら時間がとれそうですね。午前の執務を詰めればなんとかなるでしょう。リーゼロッテ様のお部屋に簡単ではありますが、祝いの席をご用意いたします。それまでお部屋でお待ちいただいてもよろしいですか?」
「それは構わないけれど……ジークヴァルト様にご無理を強いるのは心苦しいわ」
「何の話だ?」
密談をするような近さが気に障ったのか、ジークヴァルトが書類を片手にこちらを睨みつけている。
「旦那様、本日の昼食はリーゼロッテ様のお部屋で食べていただくこととなりました。そこに積んである案件をちゃっちゃとお片付けになれば、予定よりもお時間を取ることができますが」
その言葉にジークヴァルトの眉がピクリと動いた。次の瞬間、高速で書類の束が片付けられていく。
「では、リーゼロッテ様。後ほど旦那様がお部屋へ向かいますので、たのしみにお待ちくださいね。ああ、ちょうどいい機会ですので、今日はこちらを通って戻っていただきましょうか」
マテアスはジークヴァルトが座る椅子の後ろの絨毯をぺろっとめくってみせた。むき出しになった床の一部を持ち上げると、下へ続く階段が現れる。
「こちらは旦那様の自室につながる隠し通路となっております。非常時にのみ使いますが、本日は時間もないことですし、こちらから参りましょう」
マテアスがリーゼロッテの手を引こうとすると、ジークヴァルトがさっと横から攫っていった。
「いい。オレが連れて行く」
「承知いたしました。ですがなるべく早くお戻りくださいね。そちらの書類が片付かないことには、昼食の時間もなしになりますよ」
くぎを刺すように言うマテアスを横目に、ジークヴァルトは屈みこんだ。物珍し気に階段を覗き込んでいたリーゼロッテに、「抱くぞ」と耳元で声をかける。
「ひゃいっ」
抱き上げた瞬間飛び出たおかしな返事に、リーゼロッテの頬が染まる。ジークヴァルトはその顔をちらりと見やり、暗がりの階段を降りていった。
「十五分たってもお戻りにならなかったら、様子を見に行きますからね!」
マテアスの声に見送られながら階段を降り切ると、リーゼロッテを抱えたまま人ひとりが通れる程度の狭い通路を進んでいく。真っ暗な中を幾度か曲がって、しばらくすると立ち止まった。
目の前の暗闇に向かってジークヴァルトは手をかざした。青い光が仄かに光ったかと思うと、光が漏れる隙間が見えてゆっくりと扉が開いていく。その扉をくぐると、突然の眩しさにリーゼロッテが胸に顔をうずめてきた。
「ここは……?」
「オレの部屋だ」
「ああ、言われて見れば今日は旦那様の誕生日でございましたね。そうですねぇ、毎年、特別これといったことはしておりませんねぇ」
ジークヴァルトが執務机で書類に集中している隙に、今日の予定をこそりと問いかけてきたリーゼロッテは、驚きながらもさらに声のトーンを落とした。
「でも贈り物などはするのでしょう?」
「いえ、それも特には……。お伺いしても毎年欲しい物はないということで、旦那様が七歳になった年から祝うこともなくなりましたので」
紅茶をサーブしながら答えると、リーゼロッテは絶句している様子だった。
「わたくし、贈り物を用意してしまったのだけれど、ご迷惑だったかしら……」
「左様でございましたか。それは旦那様もおよろこびになられると思います。リーゼロッテ様のお心遣いを無駄になどできませんので、このマテアスが何とかいたしましょう」
懐に手を入れると、マテアスは黒い手帳を取り出した。ページをめくって何かを確認すると、ぱたりと片手でそれを閉じる。
「生憎と午後からはどうしてもはずせない来客がございますが、昼食時の三十分なら時間がとれそうですね。午前の執務を詰めればなんとかなるでしょう。リーゼロッテ様のお部屋に簡単ではありますが、祝いの席をご用意いたします。それまでお部屋でお待ちいただいてもよろしいですか?」
「それは構わないけれど……ジークヴァルト様にご無理を強いるのは心苦しいわ」
「何の話だ?」
密談をするような近さが気に障ったのか、ジークヴァルトが書類を片手にこちらを睨みつけている。
「旦那様、本日の昼食はリーゼロッテ様のお部屋で食べていただくこととなりました。そこに積んである案件をちゃっちゃとお片付けになれば、予定よりもお時間を取ることができますが」
その言葉にジークヴァルトの眉がピクリと動いた。次の瞬間、高速で書類の束が片付けられていく。
「では、リーゼロッテ様。後ほど旦那様がお部屋へ向かいますので、たのしみにお待ちくださいね。ああ、ちょうどいい機会ですので、今日はこちらを通って戻っていただきましょうか」
マテアスはジークヴァルトが座る椅子の後ろの絨毯をぺろっとめくってみせた。むき出しになった床の一部を持ち上げると、下へ続く階段が現れる。
「こちらは旦那様の自室につながる隠し通路となっております。非常時にのみ使いますが、本日は時間もないことですし、こちらから参りましょう」
マテアスがリーゼロッテの手を引こうとすると、ジークヴァルトがさっと横から攫っていった。
「いい。オレが連れて行く」
「承知いたしました。ですがなるべく早くお戻りくださいね。そちらの書類が片付かないことには、昼食の時間もなしになりますよ」
くぎを刺すように言うマテアスを横目に、ジークヴァルトは屈みこんだ。物珍し気に階段を覗き込んでいたリーゼロッテに、「抱くぞ」と耳元で声をかける。
「ひゃいっ」
抱き上げた瞬間飛び出たおかしな返事に、リーゼロッテの頬が染まる。ジークヴァルトはその顔をちらりと見やり、暗がりの階段を降りていった。
「十五分たってもお戻りにならなかったら、様子を見に行きますからね!」
マテアスの声に見送られながら階段を降り切ると、リーゼロッテを抱えたまま人ひとりが通れる程度の狭い通路を進んでいく。真っ暗な中を幾度か曲がって、しばらくすると立ち止まった。
目の前の暗闇に向かってジークヴァルトは手をかざした。青い光が仄かに光ったかと思うと、光が漏れる隙間が見えてゆっくりと扉が開いていく。その扉をくぐると、突然の眩しさにリーゼロッテが胸に顔をうずめてきた。
「ここは……?」
「オレの部屋だ」