ふたつ名の令嬢と龍の託宣

【第5話 愛の賛歌】

「飽きたわ」

 公爵家の書庫の大きなテーブルを囲み各々が読書に励んでいた横で、ツェツィーリアが唇を尖らせながらぽつりと言った。目の前に広げていた絵本を遠くへと押しやり、退屈そうに床に届かない足をぷらぷらしはじめる。

「エッカルト、気分転換にツェツィー様をお茶にお誘いしても構いませんか? 教示を受ける立場にありながら、申し訳ないのですが」
「もちろんでございます。ルカ様、わたしに敬語は必要ございません。遠慮なく何なりとお申し付けください」
「いえ、わたしは教えを乞う身。師と仰いだからには、尊敬の念をもって接するのは当たり前の事です。そこに地位も身分も年齢も関係ありません」

 きりっとした顔で答えたルカに、エッカルトは感心したように頷いた。

「ダーミッシュ伯爵家は素晴らしいお世継ぎをお持ちでございますな。ツェツィーリア様も誠に良き方に巡り会えました」
「どうしてそこでわたくしの名が出てくるのよ?」

 やさし気に目を細めるエッカルトに、ツェツィーリアはつんと顔をそらした。

「リーゼロッテ様、少しばかりここを離れますが、間もなく旦那様がいらっしゃると思います。それまではエラ様とこちらにいていただいてよろしいですかな?」
「ええ、もちろんよ。ルカ、ツェツィーリア様のことよろしくね」
「はい、義姉上、おまかせください!」
「だからなんでわたくしがルカによろしくされなくてはならないの!?」

 文句を言いつつもエッカルトに連れられて、ツェツィーリアはルカと共に書庫を後にした。ルカはツェツィーリアの手を取って、大事そうにエスコートしている。その後ろ姿を、リーゼロッテをはじめ、その場にいたエラとエマニュエルは微笑ましそうに見送った。

「ルカ様は本当に姫君を守る騎士のようですね」
「ふふ、なんだか焼けてしまうわ」
「ダーミッシュのお屋敷では、いつもルカ様がお嬢様の手をお引きでしたからね」

 ルカは次期領主として領地経営の知識を深めるために、フーゲンベルク家に滞在している。短期留学といったところだ。長年公爵家の家令を務めてきたエッカルトに教えを乞い、日々勉強に励んでいた。
 なんだかんだ言ってもツェツィーリアは、いつでもそんなルカのそばにいる。先ほどの様にしびれをきらしては休憩を入れるのが、ここ最近の日常となっていた。

 その横でリーゼロッテもエマニュエルを師に、フーゲンベルク領について学んでいる。ジークヴァルトには別にそんなことをする必要はないと言われたが、リーゼロッテにも思うところがたくさんあった。

(わたしもイザベラ様をみならわなくちゃ……)

 イザベラは先日のお茶会の日に、エーミールの案内の元、厩舎(きゅうしゃ)だけでなく公爵家の一大産業である家具職人の作業まで見学しに行ったらしい。彼女は本気でフーゲンベルク家の女主人になるべく、これまで努力を重ねてきたのだ。

 それは無駄な行いだと笑うこともできるだろう。ジークヴァルトの相手は、龍によって選ばれてしまっている。しかしリーゼロッテは、そのイザベラの行動力を否定する気にはなれなかった。

『そんな状態で婚約者だとふんぞり返られても、まったく話にならないわね』

 イザベラの言葉が胸に刺さった。あんなふうに言われてひどいと責めたくもなったが、そう思うのは図星を指されたからだ。

(今までわたしは何をしてきたかしら……)

 守られるばかりでは嫌だと言って、それなりに力の制御の訓練はしてきた。だが、所詮はそれなりだ。

(結果が伴わなければ意味がないわ。もっとヴァルト様のためになることを考えなくちゃ)

 そこで思いついたのがこの勉強会だ。託宣や異形に関する知識をきちんと身につけた方がいいと、ジークハルトに言われたことを思い出す。フーゲンベルク家の書庫に、その手の書物があると王子も言っていた。
 託宣にまつわる書物は奥書庫にしまわれているので、ジークヴァルトが来てからそこを開けてもらうことになっている。今はエマニュエルと共に公爵家の歴史を勉強中だ。

「では、わたしたちはもうしばらく続けましょうか」
「はい、お願いしますわ、エマ様」

 エマニュエルの言葉に姿勢を正した。その後方で、カークがじっとその様子を見守っている。
 地形や気候、主な産業、領民の生活。フーゲンベルク家の歴史は長い。それは王家と並び、建国以来から続いているため、学ぶことも膨大だった。

 力の制御の訓練の時も思ったが、エマニュエルは教えるのがとてもうまい。説明が分かりやすいし、何より飽きさせないでいてくれる。

「エマ様は本当に何でも知っていらっしゃいますのね」

 公爵家の歴史についても知識が深い。元使用人とは言え、どうしてそこまで知っているのかと感心してしまう。

「わたしはマテアスと共に、子供の頃から旦那様とアデライーデ様のおそばにおりましたから。嫌でも頭に入るというものですわ」

 苦笑いしながら言う。本来知識を蓄えなければならないアデライーデよりも、自分の方が造詣深くなってしまった。だが、こうしてリーゼロッテの役に立っているのなら、それも無駄ではなかったと、エマニュエルの口元は無意識にほころんだ。

「でもわたくしが学んだところで、ジークヴァルト様のご負担が軽くなる訳ではないのよね」
「何かをして差し上げたいというリーゼロッテ様のお心に、旦那様は何よりもおよろこびになられますわ」

 めずらしくため息をつくリーゼロッテに、エマニュエルはやさしく微笑んだ。

「だといいのですが……」

 自信なさげに答えるリーゼロッテに、浮かんだ笑みは苦笑いに変わる。

「ずっと旦那様を見てきたわたしが言うのですから、間違いはございませんわ」
「まったくもってその通り」

 いきなり会話に入ってきたマテアスに、リーゼロッテは驚きで振り返った。

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