ふたつ名の令嬢と龍の託宣
【第6話 束縛の檻】
春のあたたかな日差しが、テーブルの上に揺れる木漏れ日を映す。満開の花が咲き乱れる木のそばで、リーゼロッテはティータイムを楽しんでいた。同席するのはツェツィーリアとルカ、それにエラだ。
「それでオクタヴィアはレオン・カークと結婚したというの?」
「はい、その後カーク家でしあわせに暮らしたようですわ」
ツェツィーリアが泣き虫のジョンの事の顛末を聞きたがるので、リーゼロッテは順を追って説明していた。
「公爵夫人から子爵夫人に。なかなか大胆な選択ですね」
感心したようにルカが頷いている。流れで異形の者の存在を明かしたが、ルカは思った以上にすんなりと受け入れてくれた。
「でも公爵家には息子がいたのでしょう? 自分だけしあわせになるなんて許せないわ」
「ツェツィー様はおやさしいですね。その方は公爵家の跡取りとして、立派に責務を果たされたのかもしれません」
ルカはそう言って、ツェツィーリアの手を取った。
「だっ、誰が手に触れていいって言ったのよ!?」
「傷ついたツェツィー様をおなぐさめしたくて……。触れることを許してはいただけませんか?」
「そう言うことは触れる前に言いなさいよ。それに、どうしてわたくしがなぐさめられなくてはいけないの? 誰も傷ついてなんていないもの」
真っ赤になってぷいと顔をそらしながらも、ルカの手を振りほどこうとはしない。それをいいことにルカはその手を愛おしそうに握っている。
「それにしても、あそこにそんな異形の者が立っていたなんて……」
エラは満開の花が咲く木を見上げた。ジョンが浄化されたあと、枯れていた木に突然花が咲いた。桜に似た薄紅色の綺麗な花だ。
「ずっと黙っていてごめんなさい」
「とんでもございません! このエラの目に異形が視えないばかりに、お嬢様のお力になれなくて……」
「そんなことはないわ。今はこうして疑うことなく話を聞いてくれるし、それにエラは無知なる者だから」
「無知なる者? 義姉上、何ですかそれは? また聞き慣れない言葉ですね」
ルカは異形の者の話に興味津々だ。昔から知識欲旺盛な弟だったが、その吸収力はエッカルトも両手離しに褒めているほどだ。
「無知なる者はね、異形が視えないし、異形もまた悪さができない人間の事を言うの。ルカも無知なる者なのよ?」
「わたしがですか?」
驚いたように言った後、ルカは悲しそうにツェツィーリアを見た。
「ツェツィー様も異形の者が視えるのですよね。あなたを怖がらせる存在を認識できないなんて……わたしは一体どうしたらいいのでしょう」
「わ、わたくし異形なんて怖くないわ! いい加減なこと言わないで!」
ふたりのやりとりを微笑ましく見つめながら、リーゼロッテはルカに助け舟を出す。
「ルカがそばにいるだけで、異形の者は寄ってこないのよ」
「おそばにいることで、わたしはツェツィー様をお守りできるのですか?」
頷くと、ルカは瞳を輝かせた。
「ツェツィー様、この命に変えましても、わたしがあなたをお守りします!」
「な、何よ、ルカなんて明日にはダーミッシュ領に帰ってしまうんでしょう? それに簡単に命をかけるだなんて言わないで!」
ばん、とテーブルを叩くとツェツィーリアは椅子から飛び降りて、屋敷の方へと駆け出した。
「ツェツィー様!」
ルカがその後を追おうと席を離れる。数歩進んでから振り返り、「義姉上、中座する無礼をお許しください」と礼を取ってから、ルカは駆け足でツェツィーリアの背を追っていった。リーゼロッテが目配せすると、そばに控えていた使用人が、大慌てでふたりの行った方へと走っていく。
「ルカはツェツィーリア様の事、本気なのね」
「ですが婚約を申し込むとなりますと、簡単なお話ではないでしょうね」
エラがため息交じりに言う。公爵家の令嬢ならば引く手数多だろうし、下位の爵位の家に嫁ぐとなったら、家同士の利害が一致しなければ実現は難しい。貴族の婚姻とは本来、恋愛の果てになされるようなものではなかった。
ダーミッシュ家は伯爵の地位にあるものの、片田舎の中堅貴族だ。最近でこそ商業が発展して豊かな領地を持つが、歴史ある公爵家と比べるとやはり見劣りすると言わざるを得ない。
「ルカは思いのほか頑固だから……。何が何でもお義父様を説得しそうだわ」
「そうでございますね」
「ツェツィーリア様が義妹になったらわたくしもうれしいわ」
そのときリーゼロッテの紅茶に、ぽとりと花のつぼみが落ちてきた。エラとともに満開の木を見上げる。桜のような可憐な花は、しかし花びらが舞い散ることなく、その枝に堂々と咲き誇っている。
次いで開いた花が落ちてきた。枝から落ちるにはまだまだ早そうな、五枚の花弁が開いた美しい咲き具合だ。
「ふふ、犯人はきっとあの小鳥ね」
ふっくらした雀のような小さい鳥が、枝から枝へちょんちょんと跳ねている。時折花をついばみながら、その花弁を地面へと落としていく。
「花散らしの小鳥ね。ああやって花の蜜を吸っているのだそうよ」
ジョンがいつも泣いていた木の根元を、いくつもの花が飾っている。ジョンは天で笑顔を取り戻しただろうか。そんなことを思って青空を見上げたリーゼロッテの髪を、春の風がふわりと攫っていった。
「それでオクタヴィアはレオン・カークと結婚したというの?」
「はい、その後カーク家でしあわせに暮らしたようですわ」
ツェツィーリアが泣き虫のジョンの事の顛末を聞きたがるので、リーゼロッテは順を追って説明していた。
「公爵夫人から子爵夫人に。なかなか大胆な選択ですね」
感心したようにルカが頷いている。流れで異形の者の存在を明かしたが、ルカは思った以上にすんなりと受け入れてくれた。
「でも公爵家には息子がいたのでしょう? 自分だけしあわせになるなんて許せないわ」
「ツェツィー様はおやさしいですね。その方は公爵家の跡取りとして、立派に責務を果たされたのかもしれません」
ルカはそう言って、ツェツィーリアの手を取った。
「だっ、誰が手に触れていいって言ったのよ!?」
「傷ついたツェツィー様をおなぐさめしたくて……。触れることを許してはいただけませんか?」
「そう言うことは触れる前に言いなさいよ。それに、どうしてわたくしがなぐさめられなくてはいけないの? 誰も傷ついてなんていないもの」
真っ赤になってぷいと顔をそらしながらも、ルカの手を振りほどこうとはしない。それをいいことにルカはその手を愛おしそうに握っている。
「それにしても、あそこにそんな異形の者が立っていたなんて……」
エラは満開の花が咲く木を見上げた。ジョンが浄化されたあと、枯れていた木に突然花が咲いた。桜に似た薄紅色の綺麗な花だ。
「ずっと黙っていてごめんなさい」
「とんでもございません! このエラの目に異形が視えないばかりに、お嬢様のお力になれなくて……」
「そんなことはないわ。今はこうして疑うことなく話を聞いてくれるし、それにエラは無知なる者だから」
「無知なる者? 義姉上、何ですかそれは? また聞き慣れない言葉ですね」
ルカは異形の者の話に興味津々だ。昔から知識欲旺盛な弟だったが、その吸収力はエッカルトも両手離しに褒めているほどだ。
「無知なる者はね、異形が視えないし、異形もまた悪さができない人間の事を言うの。ルカも無知なる者なのよ?」
「わたしがですか?」
驚いたように言った後、ルカは悲しそうにツェツィーリアを見た。
「ツェツィー様も異形の者が視えるのですよね。あなたを怖がらせる存在を認識できないなんて……わたしは一体どうしたらいいのでしょう」
「わ、わたくし異形なんて怖くないわ! いい加減なこと言わないで!」
ふたりのやりとりを微笑ましく見つめながら、リーゼロッテはルカに助け舟を出す。
「ルカがそばにいるだけで、異形の者は寄ってこないのよ」
「おそばにいることで、わたしはツェツィー様をお守りできるのですか?」
頷くと、ルカは瞳を輝かせた。
「ツェツィー様、この命に変えましても、わたしがあなたをお守りします!」
「な、何よ、ルカなんて明日にはダーミッシュ領に帰ってしまうんでしょう? それに簡単に命をかけるだなんて言わないで!」
ばん、とテーブルを叩くとツェツィーリアは椅子から飛び降りて、屋敷の方へと駆け出した。
「ツェツィー様!」
ルカがその後を追おうと席を離れる。数歩進んでから振り返り、「義姉上、中座する無礼をお許しください」と礼を取ってから、ルカは駆け足でツェツィーリアの背を追っていった。リーゼロッテが目配せすると、そばに控えていた使用人が、大慌てでふたりの行った方へと走っていく。
「ルカはツェツィーリア様の事、本気なのね」
「ですが婚約を申し込むとなりますと、簡単なお話ではないでしょうね」
エラがため息交じりに言う。公爵家の令嬢ならば引く手数多だろうし、下位の爵位の家に嫁ぐとなったら、家同士の利害が一致しなければ実現は難しい。貴族の婚姻とは本来、恋愛の果てになされるようなものではなかった。
ダーミッシュ家は伯爵の地位にあるものの、片田舎の中堅貴族だ。最近でこそ商業が発展して豊かな領地を持つが、歴史ある公爵家と比べるとやはり見劣りすると言わざるを得ない。
「ルカは思いのほか頑固だから……。何が何でもお義父様を説得しそうだわ」
「そうでございますね」
「ツェツィーリア様が義妹になったらわたくしもうれしいわ」
そのときリーゼロッテの紅茶に、ぽとりと花のつぼみが落ちてきた。エラとともに満開の木を見上げる。桜のような可憐な花は、しかし花びらが舞い散ることなく、その枝に堂々と咲き誇っている。
次いで開いた花が落ちてきた。枝から落ちるにはまだまだ早そうな、五枚の花弁が開いた美しい咲き具合だ。
「ふふ、犯人はきっとあの小鳥ね」
ふっくらした雀のような小さい鳥が、枝から枝へちょんちょんと跳ねている。時折花をついばみながら、その花弁を地面へと落としていく。
「花散らしの小鳥ね。ああやって花の蜜を吸っているのだそうよ」
ジョンがいつも泣いていた木の根元を、いくつもの花が飾っている。ジョンは天で笑顔を取り戻しただろうか。そんなことを思って青空を見上げたリーゼロッテの髪を、春の風がふわりと攫っていった。