ふたつ名の令嬢と龍の託宣

【第10話 妄執の棘 - 後編 -】

 広場では行商人による露店が開かれ、多くの人でにぎわっていた。普段から使用人が行き交うこの場所は、いつも以上に活気に満ちている。

 社交好きだった先代に比べ、ジークヴァルトはイベントごとをまるでおこそうとしない。以前は定期的に開かれていた夜会も茶会も、今は昔の話となっていた。使用人にしてみれば、やりがいも張り合いもないというものだ。

 しかし、ここに来て行商人を招いてのお祭り騒ぎだ。使用人向けの露店が並び、野外パフォーマンスなどもあちこちで行われていた。

「リーゼロッテ様がいらしてから、たのしいことが増えたわね」
「このままずっと公爵家にいてくれればいいのに」
「はやくお嫁に来てくださらないかしら。リーゼロッテ様のこと、奥様って呼んでみたい!」
「旦那様もがんばってはいるみたいだけど……」
「あの旦那様だものねぇ」

 そんなため息交じりの会話を横目に、エラはヨハンと共に露店を見て回っていた。リーゼロッテのそばを離れたくはなかったが、たまには息抜きをということで、しばしの自由時間をもらっていた。

(でもそろそろ戻らないとだわ)

 公爵がついているから大丈夫だとも思う反面、公爵がそばにいるからこそ、別の心配が頭をもたげてくる。最近のリーゼロッテは、公爵を()けているようだった。ツェツィーリアのそばにいたいというのも嘘ではないのだろうが、それにしてもあからさまな態度に、エラも戸惑っていた。

(お嬢様にお聞きしても何も答えてくださらないし……)

 リーゼロッテは子供の頃から、抱えた悩みを自己完結させてしまうことが多かった。そこを察して支えるのが自分の役目のはずなのに、今回ばかりは理由も原因もさっぱりだ。

「公爵様のご様子を見ると、喧嘩をなさったようでもなさそうだし……」
「エラ嬢? どうかしたのか?」

 隣にいたヨハンが不思議そうに問いかけてくる。独り言が口から漏れ出ていたことに気がついて、エラは慌ててその首を振った。

「いいえ、なんでもございません。わたしはそろそろリーゼロッテ様の元へ戻ろうかと思いまして……」
「ああ、もうそんな時間か。そうだ、エラ嬢。よかったらこれを受け取ってもらえないか?」

 差し出された袋を開けると、中には小さなイヤリングが入っていた。緑の石がついた可愛いデザインのものだ。

「これをわたしが頂いてよろしいのですか?」
「リーゼロッテ様が同じものをお求めになっていた。揃いで持っていたらエラ嬢もよろこぶかと思ってだな」

 大きな指をもじもじ突き合わせるヨハンに、頬を染めながらエラは笑顔を向けた。

「お心遣いありがとうございます。とてもうれしいです」
「いや、オレもエラ嬢にはいつもよくしてもらっている。ほんの感謝のしるしだ」
「わたしの方こそ、たくさん学ばせていただいております。ヨハン様はわたしの刺繍のお師匠様ですから」

 尊敬のまなざしを向けるエラに、ヨハンはわちゃわちゃと手を振った。

「師匠などと大袈裟なっ」
「いいえ、ヨハン様はわたしの知らない技術をたくさんお持ちですし、そうお呼びするのがふさわしいです」

 そんなやり取りを、周囲の者が注意深く伺っていた。ヨハンに賭けた者はその背に声援(エール)を送り、そうでない者はハラハラとふたりの成り行きを見守っている。

「え、エラ嬢! 実は我がカーク家には、代々伝わる秘伝の刺繍の(わざ)があるんだがっ」
「秘伝の刺繍!?」

 そのパワーワードにエラの瞳が輝いた。期待に満ちた目で、前のめりでヨハンの顔を見上げてくる。

「そう、秘伝の刺繍だっ。生憎(あいにく)誰彼(だれかれ)なく教えることはできないんだが、も、もしっ、エラ嬢がオレの、つ、つ、妻になってくれるなら、すべての技を君に教えてやれるんだがどうだろうかっ」

 てんぱったままヨハンは大声で叫んだ。勢いだけで飛び出した突然のプロポーズに、周囲の者が固まった。息を詰め、みながエラの返答に耳をそばだてる。

「……それでは教えていただけないのも仕方がありませんね。リーゼロッテお嬢様の侍女として、わたしは一生結婚するつもりはありません。残念ですが、諦めるよりほかないですね。いつかヨハン様の奥様になられる方が、うらやましい限りです」

 悪気なくあっさりと返されたヨハンが、見ていて気の毒なぐらい涙目となった。

「そ、そうだなっ、残念だが、仕方がないなっ」
「はい、仕方ないですね」

 にっこりと頷いたエラは、求婚されたこと自体気づいていない様子だ。だが、それはわざと(かわ)したようにも見えて、エラを落とすのは一筋縄ではいかないと、その場にいた者たちが目を見合わせた。

 ニコラウスに続き、エラ争奪杯(そうだつはい)からヨハンが脱落した。そのニュースは電光石火で公爵家内へと伝わることとなる。残るはエーミールか、マテアスか。最近では、デルプフェルト家のカイや、女好きのユリウスの名も挙がっていた。

 そんな雰囲気をしり目に、エラは申し訳なさそうにヨハンに付け加えた。

「それにわたしは、子爵家の女主人を務められるような器ではありませんし、エデラー家は近いうちに男爵位を王に返上する予定です。ヨハン様にはもっと相応(ふさわ)しいご令嬢がおられるはずです」
「ははは……だといいんだが」

 力なく笑うヨハンに、同情の視線が集まった。その時、ヨハンの表情が一変した。はっと顔を上げ、屋敷の方へと視線を向ける。

「ヨハン様?」
「空気が変わった……」

 低く真剣な声音に、エラの顔が青ざめる。

「何かあったのですか?」
「わからない。だが、屋敷の奥によくない気を感じる。この広場は大丈夫なようだが」

 見回す広場は活気に満ちていて、みなこの時間を楽しんでいるのが見て取れた。

「オレは様子を見てくる。君はこのままここにいてくれ」

 足早に去ろうとしたヨハンの腕を咄嗟に掴む。

「いえ、お嬢様が心配です。わたしも一緒に行かせてください」
「……分かった。だが、何があるか分からない。絶対にオレから離れないでほしい」

 神妙にエラが頷くと、ふたりは屋敷の中へと急いだ。裏口から廊下へ入り、会話もないまま屋敷の中心を目指す。観劇が行われていた広間を過ぎたあたりで、感じる瘴気(しょうき)がどんどん濃くなってくる。脂汗がにじんできて、ヨハンはうめくようにつぶやいた。

「これ以上は危険だ」

 途中の廊下でその腕を掴み、エラの歩を止めさせる。ヨハンの目には、行く先の廊下は赤黒い霧に包まれていた。このまままっすぐ進めば執務室があり、そのさらに先にはジークヴァルトの部屋がある。屋敷の奥に向かうほど、この瘴気が濃密になっていくように感じられた。

「ですが……」

 戸惑ったようにエラは廊下の先を見やった。無知なる者のエラの目の前には、いつもの廊下の風景が続いている。よくない気を感じると言われても、何のことだかさっぱり分からなかった。

(でも、この先にリーゼロッテお嬢様がいる)

 その事だけは理解できた。だとするなら自分の取るべき道はただひとつだ。
 エラはヨハンの手を振り払って、廊下の先へと走りだした。

「エラ嬢……!」

 咄嗟にその腕を伸ばすも、ヨハンの手は(くう)を切った。エラの姿は瘴気の中へと飲み込まれるように消えていく。

「くそっ」

 後を追おうにも、ヨハンの体は邪悪な気に(はじ)かれてしまった。事態は自分ごときが手に負えるものではない。そう判断したヨハンは、来た廊下へと向き直り、全速力で走りだした。

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