ふたつ名の令嬢と龍の託宣
【第11話 龍の盾】
浮かんだ汗をぬぐうと、眉間のしわが少しだけ小さくなった。額に冷やした布を乗せ、その青白い寝顔をじっと見守る。
ジークヴァルトの意識は戻らないまま、もう三日ほど経過していた。短剣に毒が塗られていたのと、血が多く流れ過ぎたことが原因だ。
「リーゼロッテ様……少しはお休みになられませんと、お体にさわりますよ」
そんなリーゼロッテの背に、ロミルダが気づかわし気に声をかけてきた。
ここ数日、食べ物もろくにのどを通らない。あの時、自分がジークヴァルトのもとに行かなければ。そんな思いばかりが、頭の中をぐるぐると巡る。
「もう少しだけ、ここにいさせてちょうだい」
「……わかりました。あとでまた様子を見に参ります」
力なく答えたリーゼロッテに、ロミルダはそれ以上何も言わなかった。ロミルダが出ていくと、寝室は再び静寂に包まれる。
「ジークヴァルト様……」
呼びかけるも返答はない。いつもなら、じっと見つめ返してくる青い瞳も閉じられたままだ。その腹の上あたりで守護者が、先ほどからあぐらをかいて浮いている。両手を頭の後ろで組み、のんびりとした様子でリーゼロッテを眺めていた。
『大丈夫。ヴァルトは死なないよ』
「……死ななくとも、こんなにもおつらい目にあっているではありませんか」
苦し気な寝顔を見つめたまま、リーゼロッテは硬い声で返した。それでもジークハルトはいつも通りのニコニコ顔だ。
『仕方ないよ。託宣を受けた者は、それを果たすまでは死ぬことも許されない。前にもそう言ったろう? それに、これは別にリーゼロッテのせいじゃないよ。ヴァルトが異形に狙われるのはいつもの事だから』
肩をすくませて言うジークハルトに、リーゼロッテは語気を荒げた。
「託宣とは……龍とは一体何なのですか? どうしてヴァルト様ばかりがこのような目に……!」
『ジークヴァルトは龍の盾だからね。フーゲンベルクを継ぐ者の宿命だよ』
「龍の盾……?」
思わずその顔を見上げる。ジークハルトは少し困ったような笑顔で見つめ返してきた。
『龍はこの国の成り立ちそのもの。それに向けられる悪意を引き受けるのが、フーゲンベルクの役割だから』
「龍に向けられる悪意……?」
『そう、異形の者は龍を憎んでいる。理由も何も分からないままにね』
「異形が龍を?」
『まあ、被害者としては当然の意識だよね』
そのときジークヴァルトが僅かに身じろいだ。はっとなりその蒼白な顔を見つめる。滑り落ちた布はもう温まっていて、額には再び汗がにじんでいた。
「ヴァルト様……」
汗をぬぐい、氷水に浸した布を額に乗せる。今、自分にできることはこれだけだ。
『ヴァルトが今何を思っているか教えてあげようか?』
突然そんなことを言われ、リーゼロッテは訝し気にジークハルトを見上げた。
『オレとヴァルトは意識がつながってるから、ヴァルトがリーゼロッテをどう思ってるかも教えてあげられるよ?』
「ですが……」
いくら守護者と言えど、他人の口から本音を漏らされるのは、ジークヴァルトも嫌だろう。そう思って、リーゼロッテは静かに首を振った。
「ヴァルト様がわたくしを子供扱いしているのは、十分に分かっておりますから」
『子供扱いねえ』
頭の後ろで手を組んだまま、愉快そうに体を傾ける。そんな様子のジークハルトに、リーゼロッテは不満そうに唇を尖らせた。
「だってそうでございましょう?」
『ジークヴァルトの中でリーゼロッテって、割とすごいことになってるよ?』
「すごいことに?」
首をかしげると、ジークハルトは力強く頷いた。
『うん。かなり、結構、ものすごく』
にっこりと言い切るジークハルトに、リーゼロッテは唇をかみしめた。ジークヴァルトの中で、自分はそんなにもお荷物なモンスターになっているのだろうか。
その時、ジークヴァルトの口から苦しそうな息が漏れた。はっとなり、再び視線を戻す。
『ねえ、リーゼロッテ。ヴァルトの手、握ってあげてよ。それだけでも十分癒しになるから』
戸惑いながらもリネンの中、ジークヴァルトの腕を探す。大きな手を両手で握ると、いつになく乱れた青の力を感じた。
いつも髪をやさしく梳いてくれる手は、熱を持ったまま微動だにしない。汗ばんだ手に指を絡め、リーゼロッテは包むようにきゅっと握りしめた。
『少しずつでいいから、リーゼロッテの力を分けてあげて』
言われるがまま、手のひらに向けて意識を集中する。瞳を閉じて、一心に願った。
早く意識が戻るように。早く痛みと熱が引くように。そして、早く、その瞳に自分を映してほしい――
つないだ手の中、青と緑が混じり合っていく。ジークヴァルトの気が穏やかになっていくのを感じて、リーゼロッテは祈るように力を注ぎ続けた。
流れゆく力と共に、まどろみが訪れる。その手を握りしめたまま、リーゼロッテは深い眠りに落ちた。それでもなお、力は静かに注がれ続ける。
『ありがとう、リーゼロッテ』
無意識のまま癒し続けるリーゼロッテの寝顔を見つめ、ジークハルトはその耳元で囁いた。
『ーーヴァルトを救えるのは、君だけだから』
ジークヴァルトの意識は戻らないまま、もう三日ほど経過していた。短剣に毒が塗られていたのと、血が多く流れ過ぎたことが原因だ。
「リーゼロッテ様……少しはお休みになられませんと、お体にさわりますよ」
そんなリーゼロッテの背に、ロミルダが気づかわし気に声をかけてきた。
ここ数日、食べ物もろくにのどを通らない。あの時、自分がジークヴァルトのもとに行かなければ。そんな思いばかりが、頭の中をぐるぐると巡る。
「もう少しだけ、ここにいさせてちょうだい」
「……わかりました。あとでまた様子を見に参ります」
力なく答えたリーゼロッテに、ロミルダはそれ以上何も言わなかった。ロミルダが出ていくと、寝室は再び静寂に包まれる。
「ジークヴァルト様……」
呼びかけるも返答はない。いつもなら、じっと見つめ返してくる青い瞳も閉じられたままだ。その腹の上あたりで守護者が、先ほどからあぐらをかいて浮いている。両手を頭の後ろで組み、のんびりとした様子でリーゼロッテを眺めていた。
『大丈夫。ヴァルトは死なないよ』
「……死ななくとも、こんなにもおつらい目にあっているではありませんか」
苦し気な寝顔を見つめたまま、リーゼロッテは硬い声で返した。それでもジークハルトはいつも通りのニコニコ顔だ。
『仕方ないよ。託宣を受けた者は、それを果たすまでは死ぬことも許されない。前にもそう言ったろう? それに、これは別にリーゼロッテのせいじゃないよ。ヴァルトが異形に狙われるのはいつもの事だから』
肩をすくませて言うジークハルトに、リーゼロッテは語気を荒げた。
「託宣とは……龍とは一体何なのですか? どうしてヴァルト様ばかりがこのような目に……!」
『ジークヴァルトは龍の盾だからね。フーゲンベルクを継ぐ者の宿命だよ』
「龍の盾……?」
思わずその顔を見上げる。ジークハルトは少し困ったような笑顔で見つめ返してきた。
『龍はこの国の成り立ちそのもの。それに向けられる悪意を引き受けるのが、フーゲンベルクの役割だから』
「龍に向けられる悪意……?」
『そう、異形の者は龍を憎んでいる。理由も何も分からないままにね』
「異形が龍を?」
『まあ、被害者としては当然の意識だよね』
そのときジークヴァルトが僅かに身じろいだ。はっとなりその蒼白な顔を見つめる。滑り落ちた布はもう温まっていて、額には再び汗がにじんでいた。
「ヴァルト様……」
汗をぬぐい、氷水に浸した布を額に乗せる。今、自分にできることはこれだけだ。
『ヴァルトが今何を思っているか教えてあげようか?』
突然そんなことを言われ、リーゼロッテは訝し気にジークハルトを見上げた。
『オレとヴァルトは意識がつながってるから、ヴァルトがリーゼロッテをどう思ってるかも教えてあげられるよ?』
「ですが……」
いくら守護者と言えど、他人の口から本音を漏らされるのは、ジークヴァルトも嫌だろう。そう思って、リーゼロッテは静かに首を振った。
「ヴァルト様がわたくしを子供扱いしているのは、十分に分かっておりますから」
『子供扱いねえ』
頭の後ろで手を組んだまま、愉快そうに体を傾ける。そんな様子のジークハルトに、リーゼロッテは不満そうに唇を尖らせた。
「だってそうでございましょう?」
『ジークヴァルトの中でリーゼロッテって、割とすごいことになってるよ?』
「すごいことに?」
首をかしげると、ジークハルトは力強く頷いた。
『うん。かなり、結構、ものすごく』
にっこりと言い切るジークハルトに、リーゼロッテは唇をかみしめた。ジークヴァルトの中で、自分はそんなにもお荷物なモンスターになっているのだろうか。
その時、ジークヴァルトの口から苦しそうな息が漏れた。はっとなり、再び視線を戻す。
『ねえ、リーゼロッテ。ヴァルトの手、握ってあげてよ。それだけでも十分癒しになるから』
戸惑いながらもリネンの中、ジークヴァルトの腕を探す。大きな手を両手で握ると、いつになく乱れた青の力を感じた。
いつも髪をやさしく梳いてくれる手は、熱を持ったまま微動だにしない。汗ばんだ手に指を絡め、リーゼロッテは包むようにきゅっと握りしめた。
『少しずつでいいから、リーゼロッテの力を分けてあげて』
言われるがまま、手のひらに向けて意識を集中する。瞳を閉じて、一心に願った。
早く意識が戻るように。早く痛みと熱が引くように。そして、早く、その瞳に自分を映してほしい――
つないだ手の中、青と緑が混じり合っていく。ジークヴァルトの気が穏やかになっていくのを感じて、リーゼロッテは祈るように力を注ぎ続けた。
流れゆく力と共に、まどろみが訪れる。その手を握りしめたまま、リーゼロッテは深い眠りに落ちた。それでもなお、力は静かに注がれ続ける。
『ありがとう、リーゼロッテ』
無意識のまま癒し続けるリーゼロッテの寝顔を見つめ、ジークハルトはその耳元で囁いた。
『ーーヴァルトを救えるのは、君だけだから』