ふたつ名の令嬢と龍の託宣

【第12話 受け継ぎし者 -前編-】

 瞑想(めいそう)狭間(はざま)に視える映像(ヴィジョン)が頭をちらついた。貴族院会議の終わりに、席も立たずにぼんやりしていた自分に気づく。

「王太子殿下……随分とお疲れのようですね」
「いや、大丈夫だ」

 気づかわしげなブラル宰相に声を掛けられて、ハインリヒはすぐさま立ち上がった。次は貴族との謁見(えっけん)が控えている。ぼやぼやしていると予定の数をさばけない。貴族からの不平不満の芽は、極力減らしたかった。

「本日の謁見の数は予定より少なくなっております。なに、この悪天候で王城に来るのが億劫(おっくう)になった者たちが大勢出ましてね。そうお急ぎにならずとも、本日は十分(こな)せることでしょう」

 にこにこ顔でゆったりと言われ、ハインリヒは幾ばくか肩の力が抜けた。

「そうか……ではこの天候でも集まった者たちは、火急の訴えがあるのだな。待たせるのもよくない。すぐに向かおう」

「……いやはや、なんとも誠実なお方よ」
 足早に広い評議場を出ていくハインリヒを、ブラル宰相は感心と(うれ)いで見送った。

 予定より早い時間にすべての謁見を終え、ハインリヒは自室に向かっていた。余った時間で執務を片づけようかとも思ったが、休めるときは休むようにと宰相に追い帰されてしまった。
 正直なところ何もしないでいる時間を作りたくなかった。日々政務に明け暮れて、夜はアンネマリーをこの腕に抱いて眠る。夢も見ないほど疲れ果てていた方が、ハインリヒとしてはありがたかった。

 こうして後宮をひとり歩いているだけでも、あの瞑想の時間が頭をよぎる。回を経るごとに、断片的だった国の歴史が明らかになってきている。瞑想が深くなるほど視えてくるものは鮮明にこの目に映った。

 ただ歴史を知るだけではない。この国の()り方。そして、この国の成り立ち。

 国の核心に近づけば近づくほど、その先に龍の存在が見え隠れした。

(わたしはその先を知るのが怖い――)

 祈りの間での儀式の果てに、青龍の御許(みもと)に行けるのだと神官長は言う。しかしそれが本当なのか、真実を知るのはこの国の王だけだ。

 瞑想で垣間視た内容は龍によって目隠しされる。この言いようのない不安を、アンネマリーにすら打ち明けられずにいた。最近は精神ばかりか体も不調を訴えてくる。それでも公務の手を抜くこともできずに、ハインリヒは無理やり自身を奮い立たせていた。

「……父上!?」

 いきなり目の前に現れたディートリヒに驚きの声をあげた。しかしぼんやりと歩いていたのは、自分の方なのだろう。王に礼を尽くさないハインリヒに、ディートリヒの後ろを続いていた近衛騎士が(いぶか)しげな顔を向けてくる。

「王太子殿下、後宮とは言え王の御前でございます」
「よい。人払いを」

 ディートリヒの言葉に、騎士がこの場を辞していった。後宮は元々人が少ない場所だ。静まり返った廊下でハインリヒは、父王とふたりきりとなる。

「眠れぬか?」
「いえ……そういうわけでは……」

 顔色の悪さを誤魔化すように視線をそらした。アンネマリーと身を寄せ合って眠るときだけ、嘘のように不安が和らいだ。そうは言っても、容赦(ようしゃ)なく朝はやってくる。眠れているからなんとか持ち(こた)えられている。そんな(あや)うい状況だった。

「……父上、祈り儀の目的とは一体何なのですか?」
「瞑想が怖いか?」

 胸の内を正直に伝えるということは、自分の弱さを認めることだ。だがハインリヒが求める答えを、目の前にいるディートリヒ王だけが知っている。
 しかしなんと訴えればいいというのか。国の守護神である青龍に対して不振の心を抱いているなど、王太子の立場で口に出せるはずもない。

 それでもハインリヒは言葉を得たかった。この不安を(ぬぐ)い去る、前に踏み出すための確かな何かを。

「この国とは――」
「案ずるな。すべては龍の(おぼ)()しだ」

 静かな声がいつものように(さえぎ)った。思わず(にら)みつけるも、やはりいつものように静かな瞳に見つめ返されただけだ。
 この遥か彼方を見ている金の瞳が、ハインリヒはずっと嫌だった。幼いころからディートリヒは自分のことなど目に映してなくて、いつだってここではないどこか遠くを見つめていた。

「分かりました……見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」

 おざなりに礼を取り、ディートリヒの顔も見ずにその場を去った。自分が何をしようとも、父王は昔から常に無関心だ。
 アデライーデに傷を負わせた時ですらそうだった。あの痛ましすぎる出来事も、ディートリヒの前では龍の思し召しでしかないのだろう。

 唯一あったとすれば、昨年の冬、新年を祝う夜会でのことだ。あの夜、父に背を押されなければ、自分はアンネマリーを諦めていたかもしれない。

(……あれからもう一年か)

 今年も残すところ(わず)かとなった。アンネマリーという唯一無二の(つがい)を得て、自分は今、気負いなく自分で()れている。彼女を託宣の相手に選んだのは龍に他ならない。そのことに関しては、ただ感謝しかなかった。

 この国は青龍により守られている。幼いころからそう教えられて育ってきた。だが龍に翻弄(ほんろう)される多くの者の姿を思うと、その加護を疑いなく妄信することなど、ハインリヒにはどうあってもできはしない。
 婚姻に関することだけでなく、降りる託宣の内容は様々だ。中には過酷な運命を背負わされる者もいる。それはあまりにも(むご)すぎて、自分の抱える苦悩など、吹けば飛ぶほどの塵芥(ちりあくた)に思えてくる。

 龍は真に正しき存在なのか――

 その答えがあの瞑想の果てにあるのだとしたら、次代の王としてそこから逃げるわけにはいかなかった。例えどんな真実が待っていようとも。

 (なまり)のように重い気持ちを抱えたまま、ハインリヒはアンネマリーの待つ自室へと戻った。

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