偽装結婚のはずが、天敵御曹司の身ごもり妻になりました
「よろしいですか?」


返答しない私に、焦れたように男性が再度問う。

低い声にハッとして、慌てて口を開く。


「いえ、あの、私、この後用事がありますので」


なにかと物騒なこのご時世、初対面の人についていくのは遠慮したい。 

どれだけ美形でも素性の知らない男性についていくほど私の警戒心は緩くない。


「……へえ? 一応警戒心はあるのか」


「え?」


「――残念ながらあなたの予定を伺う状況ではないのです」


にっこりと優美に口角を上げるその姿は、物語の王子様そのものだ。

けれど紡がれている台詞はどこまでも不遜だった。


「先ほどの女性を故意に逃がしたと疑われたくなければご同行願えますか」


「なに、を言ってるんですか?」


「ああ、申し遅れました。私、栗本と申します」


私の質問など聞こえていないように、会話を続ける。

男性とは思えない綺麗な手で差し出された名刺を逡巡しながらも受け取り、紙片に視線を落とした。


【栗本ホールディングス株式会社 副社長 栗本櫂人】


「く、栗本ホールディングス……!?」


思わず大きな声が出る。

記載されていたのは恐らく誰もが一度は耳にした経験のある、日本有数の大企業名だった。

しかも副社長という日常で関わる機会は皆無に等しい肩書。


「お疑いなら、ホテルのフロントで確認していただいて構いませんよ」

私の心中を察したのか穏やかな口調で告げられる。

ここが栗本ホールディングスの系列ホテルだという事実を、混乱した頭の中でようやく理解する。
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