エリート獣医師の海知先生に恋をして
「野良猫ってさ、にゃあで会話しないのね。仲間同士で会話するのに、口を閉じたまま鳴くんだよ」

 初めて泉田先生の豆知識に感心した、知らなかった。

「野良猫たちって、ニヒルでクールだよね」

 海知先生、聞いているのかな。私なんか初めて知ったから、リアクションを取ったのに。

 海知先生は、目は文献から離さないで、ゆっくりと大きく頷く。

「苦手なものほど、いらない知識を身につけちゃうんだよね」
 そんなことないと思う。苦手なものは、画像さえ見たくないよ。

 泉田先生は猫が苦手なのに、どうして、野良猫同士の会話の鳴き声なんか知っているんだろう。

「海知朝人くん、一生懸命にシマウマの鳴き声を考えています」

 や、考えていない。文献に集中している。
 それよりも、まだ問題はつづいていたのか。

「ねえねえ、答え聞きたくて、ムズムズしてるでしょ」
 にこにこ得意げな泉田先生に、顔を上げるそぶりも見せない海知先生は頷いたよ。

 答えなんか、どっちでもいいって。
 それより、ムズムズだと痒そうだよ、ウズウズでしょうが。

「じゃあ、最後に泣きのヒント」
 まだやるんだ。海知先生がヒントをお願いしたみたいになっているし。

「ヒントねえ、なにかあるかなあ」
 泉田先生には、周りの音がいっさい耳に届かなくなったみたい。

 眉間にしわまで寄せて、あんなにヒントを考え込んで。
 いったい、どんなヒントを出すんだろう。

「シマウマの鳴き声でしょう、そうだなあ」

 焦らされている時間のおかげで、どうでもよかったのに、だんだん興味が湧いてきた。

「ヒント、テンダー」
 それヒントじゃなくて、答えだ、犬だって。

「時間切れ、それでは、お待ちかねの正解の発表です」
「はい」
 まったく待ちに待ってない、海知先生の相づちが、いい加減で上の空だ。

 泉田先生が、声でドラムロールを演出している。
 もうワクワク感はない。ヒントがテンダーって、それ答えだもん、答え犬だもん。

「実は、シマウマは犬みたいにワンワン鳴きます」
 今さらな答えに、ワクワクしない。

 優雅に文献のページをめくる、海知先生の口から、空気が抜けた炭酸みたいな適当な相づちが漏れてきた。

「ほう」
「私に対抗しちゃって。簡単じゃん、フクロウの鳴き声」
 や、海知先生は、そうじゃない。

 優しい海知先生でも限界みたいだ。うんともすんとも言わなくなった。
 もうこれ以上、泉田先生の相手をしてあげないんだ。

 受付の方から、せわしい足音を立てながら美丘さんがケアステにきた。

「急患です、樫葉ランス、交通事故です」

 ランス......

 ランス!?

 それぞれのシューズのきしむ音が、静まり返る院内に反響する。
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