エリート獣医師の海知先生に恋をして
「おはようございます、棚尾さん。チャカちゃんといっしょに、どうぞ診察室に入ってください」

 私のうしろから院長の声。しびれを切らせた美丘さんが、院長を呼びに行ったんだ。

 診察室の中から聞こえる、ゆったりとした院長の声に、オーナーの表情も態度も変わって、揚々と立ち上がり診察室に入って行った。

 全然、態度が違う。なに様? 殿様? 王様?

 まず、院長はチャカちゃんちゃんって呼ばなかったじゃないのよ。
 あっ、そっか。チャカちゃんで、院長は呼び捨てしたんだ。

 院長だから呼び捨てが許されるんだ。

って、どっちでもいいわ。

 オーナーは、呼び捨てされて文句ひとつ言わないの、どうしても納得できない。

 診察室は、もう通れないや、待合室からケアステに入ろう。

「お疲れさん」
「あんなオーナーいるんですね、面倒くさい」
「そうイライラするなって、よくがんばりました」

 海知先生の大きな手のひらが、私の頭をポンと軽く慰めてくれた。

「チャカちゃんちゃんのオーナー、私を無視した」
 腹立たしくて、下唇を噛み締める。唇がちぎれたっていいや、もう。

「チャカちゃんちゃんのオーナー、ずっと忘れない」
「寄席の出囃子みたいだよな」
「チャカちゃんでいいじゃないですか、変なオーナー」

 一生懸命、私を笑わせようとしてくれる、海知先生の気持ちは、よくわかるんだけれど、まだ腑に落ちなくてイライラする。

「棚尾さんの場合、院長以外は医療スタッフと認めてない。問診のために、診察室から呼んでも、待合室の椅子に座ったきり知らん顔だ」

「院長以外のだれに対しても、私に接したみたいなんですか?」
「そ。俺にも泉田先生にも美丘さんにも」

 先生たちや、ベテランの美丘さんのことさえ信頼しないの?

 そしたら新人動物看護師の私なんか、まったく眼中になし、信頼なんかされるわけないや。

「もしかして、保定で呼ばれますか?」
「チャカは穏やかだから、いつも保定はしない」
 それなら安心。ちょっとしたことで、クレームを言われそうだもん。

「院長じゃなきゃダメなオーナーは、まだほかにもいる」
 まだ変わり者がいるの?

「俺らでも治療はできるけど、治療中も治療後も不安になって、院長にかかった方がよかったんじゃないかって、ずっと後悔するオーナーがいるんだよ」

 そのオーナーにとって、院長は唯一無二のスーパーVET(獣医)ってわけか。

「治りが悪ければ、院長じゃなかったから。後遺症が残れば、やっぱり院長じゃなかったから。跡が残れば、あのとき院長が診てれば、ってな」

 延々につづくんだ、院長が院長が、院長だったらって。

「変わり者のオーナーですね」
「オーナーが変わり者っていうのは、早合点だよ」

 頑固で聞く耳を持っていないわ、私の言う通りに動かないわで、あのオーナーが変わり者じゃないっていうの?
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