あなたとしゃぼん玉
目を瞑っていても分かった。
大矢さんの唇がわたしの唇に重なる。
近づく吐息とか、大矢さんの体温が。

わたしが決して踏み入ることがなかったはずの扉が開いた気がした。

大矢さんの舌が入ってくる。
大矢さんの胸のあたりに手を当てると、気づいた大矢さんは飛び起きて離れた。
真っ暗の暗闇の中でも、慌てた様子が伺えた。

「えっ、ごめん…朝日…あの…」

きっと気づいてたんだ。
知られていたんだ。
わたしが大矢さんを上司としてではなく、恋愛感情として好きなことが。
バレてたんだ。
じゃなきゃ、既婚者のあなたがわたしに手を出すはずなんてない。

月の光だけがわたしたちを照らす。
今日だけは。
今日だけはいいよね。

この時思ったのは、嫌われたらどうしようということ。
嫌じゃなかったわたしが、あなたを拒んでしまったら嫌われてしまうんではないか。
もう2度と口をきいてもらえないんじゃないか。
そう思うと、拒否する言葉たちはわたしの胸の奥底に入ってしまって出てこない。

互いに手を握り合い、おでこが近づき、額が近づく。
ゆっくりと瞼を閉じて、再び唇が重なり合う。

この1週間後、わたしたちはわたしの一人暮らしのこの家で身体を重ねる。
この選択が全ての根源の間違いだったことに気づくのは、わたしたちの関係が破滅する1年半後のことになる。
この日から、大矢さんはわたしと会うときは結婚指輪を外すようになった。
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