「みえない僕と、きこえない君と」
第一章:幸せの配分
僕がその男性と出会ったのは、一年の中で

最も日が長い、夏至の頃だった。



広い園内をいつものペースで走っていると、

手入れの施された芝生広場から「きゃあ、きゃあ」

と楽しげな声が聞こえた。その声に目をやれば、

久しぶりの青空の下、子供たちが水風船を投げ

合いながら元気に走り回っている。

中学生だろうか。ひとつ水風船が割れるたびに、

水しぶきがあがるたびに、彼らから驚喜(きょうき)の声が

聞こえた。

「元気だなぁ……」

走る速度をゆるめ、首に巻き付けていた

タオルで汗を拭いながら目を細める。毎週末、

同じ時間に、同じコースを走っているが、今日は

特に風が爽やかで心地よかった。

しばしその光景を眺めながらゆっくりと歩いて

いた僕は、少し先のベンチに腰掛ける“あの男性”

を見つけた。よく見かける中年の男性だ。

今日も一人であのベンチに腰かけている。

男性は何をするでもなく、ラウンド型のサングラス

越しに芝生の方を眺めていた。

僕は何となく彼の存在を意識しながら、再び走り

始め、その場を通り過ぎようとした。




-----その時だった。




いたずらな風が吹いて、ベンチに立てかけて

あった男性の杖をコロコロと地面に転がした。

男性はそのことに気付き席を立ったが、転がった

杖を見つけることが出来ないようだった。

僕は咄嗟に駆け寄り、その杖を手にすると声をかけた。

それは、白い杖だった。

「ここにありますよ」

杖を渡された男性が、僕を見上げる。

サングラスの向こうの眼差しは僕を捉えているように

見えるが、実際はどれだけ見えているのかわからない。

「ありがとう。目が悪いもので、助かりました」

「いえ、伯父が同じものを使っていたので。

白い杖ですよね、これ。いつも走りながら、

気になっていました」

見ず知らずの他人に、いきなり不躾(ぶしつけ)かも知れな

かったが、その男性は別段気にする様子もなく、

笑みを見せる。 年の頃は40代半ばだろうか。

数年前に他界した伯父よりも、十は若く見える。

「そうでしたか。いつも軽い足取りで走っている

なと、感心していたんです。僕はほら、この通り

だから。運動はからきしでね」

そう言って男性がまたベンチに腰かけたので、

僕もその端に腰を下ろした。まるで僕の姿が見え

ていたような物言いが、気にかかったのだ。

「失礼ですが……その、まったく見えていない

わけではないんですか?僕の伯父は生まれつき

眼球がなかったので、微かに光を感じる程度だった

んですが」

子供のころからよく可愛がってくれた、伯父の

姿を思い出す。暗闇に生きながらも、時折、

本当は見えているのではないかと感じることがあり、

けれど、確かめてみれば目は見えていなかった。

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