「みえない僕と、きこえない君と」
なぜなら、僕には「何だか暗闇で物が見えにくいな」

という症状しかなかったからだ。

けれど、理由(わけ)もわからぬまま検査を進めてみれば、

気付かぬうちに視野が欠けてゆく「視野狭窄(しやきょうさく)

という症状も始まっていた。



-----自分が見ている景色は、人と同じもの。



そう思い込んでいた僕は、このとき初めて、

自分の見える世界が人とは違っていたことを知った。

言われてみれば、子供のころから転んだり、

(つまず)いたりすることが多かったな。

スポーツ全般苦手だし。

帰りの車の中で、ぼんやりと考えた。

この病の代表的な症状は、「夜盲(やもう)」と

「視野狭窄」、そして症状が進むにつれて

「視力低下」も起こるらしい。

「個人差はありますが、完全に失明するケースは

少ないですよ。医療技術は日進月歩しているし、

前向きに考えましょう」

元来、楽観的で少々のん気な僕は、医師の

その言葉に笑って頷いた。

病気という不幸を乗り越えれば、その先は

幸せなことが沢山待っているに違いない。

いつの間にか根付いていたそういう考え方もあって、

僕が病気のことで塞ぎ込むことはなかった。




それから、日常生活は少しだけ変わった。

進行を遅らせる“らしい”ビタミン剤の服用と

紫外線から視細胞を保護する「遮光眼鏡」の

着用だ。眼鏡と言っても見た目はサングラスと

同じなので、オシャレに見えるグレーのラウンド

タイプを選んだ。

「ちょっと軽い人に見えるんじゃない?」

一緒に選んでいた母は難色を示したが、眼鏡は

屋外でしかつけないし、鏡に映る自分が気に

入ったので、僕はあえて聞こえないフリをした。

高校は特に問題もなく卒業し、猛勉強の末受かった

国立大学でもそれほど困ることはなかった。

視野が欠けていることもあって、大学でも

スポーツサークルに入ることはできなかったが、

数学の知識を存分に活かせる解析学サークルに

入り、仲間たちと数々の難問を解き明かした。

すべてが順調だった。

彼女も出来たし、キャンパスライフを楽しむ姿は、

他の学生と何ひとつ変わらない。

ところが、就職活動を始めたころから、

自分には“視覚障がい”があるということを

意識することが増えた。

僕は運転免許証を取ることが出来ない。

そのことが、意外にも就職活動の枷となったのだ。

考えてみれば、何の不自由もない健常者ですら、

内定を取るのに苦労するご時世だ。

履歴書の健康欄に病名があり、多くの学生が

当たり前のように取得している運転免許がない

だけで、僕は早々に選考から外されてしまった。

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