「みえない僕と、きこえない君と」
(どこ行くの?)

弥凪が不思議そうに首を傾げ、僕を見上げる。

僕が足を向ける先に、コッペパンの店がある

わけでもない。僕は、くす、と悪戯っ子のよう

な眼差しを向けると、右手の人差し指を立て、

唇の左端から右端へと動かした。

(内緒)

そう言った僕に、弥凪は、はにかみながら、

また首を傾げた。




春真っ盛りの園内を見渡せば、黄色い山吹や

赤いツツジ、ハナモモなど、色とりどりの花が

咲いている。その園内に、まるで白いアーチ

のようにハナミズキが咲いている一角があった。

僕はどうしてか昔からハナミズキが好きで、

あのアパートを借りる決め手となったのも、

窓から見える向かいの家のハナミズキが気に

入ったからだった。春の澄みきった青空に、

白やピンクの色合いを添えるハナミズキ。

その落葉高木には、「わたしの想いを受け

とめてください」という花言葉がある。

プロポーズの言葉として、その花言葉が相応し

いかどうかはわからないが、他にも、西洋では、

ゆっくりと確実に育つその様子から「逆境にも

耐える愛」、という花言葉があった。

僕たちの人生は、おそらく、順境ばかりでは

ないだろう。決して、将来を悲観しているわけ

ではないが、そんな花言葉を持つハナミズキ

の下で、永遠を誓うのもいいかも知れない。

僕は、辿り着いた白いアーチの真ん中で

立ち止まると、繋いでいた手を離し、弥凪を

向いた。


さわ、と、風が吹いて頭上の白い葉※が揺れる。

いつも僕を助けてくれる強い眼差しが、じっと、

僕を捉えている。

僕は心を込め、ずっと伝えたかった想いを、

彼女に伝えた。

(結婚しよう。僕と、一緒に生きてください)

手話で伝えたその言葉は、とてもシンプルな

ものだった。けれど、このひと言に込められた

想いの深さは、計り知れない。

まさか、僕がそんなことを口にするとは……

予想だにしていなかったのだろう。

弥凪は驚いたように目を見開き、両手で口を

覆ってしまった。やはり、性急過ぎただろうか?

少し不安になりながらも、僕は想いを手話に

込める。

(僕の目が見えなくなっても、ずっと、側にいて

欲しい。僕たちなりの、幸せを探して生きよう。

結婚してください)

想いのすべてを手話に込めると、僕は目を

閉じて、彼女に手を伸ばした。僕の想いを

受けとめてくれるなら、彼女はこの手を握って

くれるだろう。心臓は息苦しいほどに騒いで

いたけれど、僕は手を伸ばしたまま、じっと

彼女の返事を待った。やがて、弥凪の温かな

指が、僕の手の平に触れた。僕は目を閉じた

ままで、彼女の言葉を拾った。




※花に見える白やピンクの部分は(ほう)と呼ばれる
葉の一種です。
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