水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~










 結婚をしても、朝を迎えればいつもと同じ日常が始まる。
 普通の人間と結婚すれば、役所に結婚届を出したり、苗字が変わったりして少しは変化を感じられたかもしれない。けれど、紅月の結婚相手は神様だ。苗字もなければ、結婚届をだす必要もない。
 変わった事があるとしたら、左手の薬指にある銀の沈丁花の指輪。
 そして、一人暮らしではなくなった事ぐらいだろうか。でも、その相手も人間ではないのだけれど。


 「あー、朝か。おはよう」
 「おはようございます、矢鏡様。それにしても、普通に私の部屋に居るんですね」
 「夫婦になったのだぞ。当たり前だろ。それにしてもおまえのベットとやらは狭いな。もう少し大きくしたらいいんじゃないか」
 「そんな事したら狭い部屋が、もっと狭くなりますよ」
 「確かにそうだな。広い部屋に越すか?金なら出してやるぞ」
 「矢鏡様、お金なんてあるんですか?」
 「ほら、これぐらいなら」

 そう言って袖から花柄の綺麗な布袋を出して、紅月に手渡す。
 神様がお金を持っているのが不思議で、中身を確かめたくてつい手を伸ばしてしまう。現代のお金が入っているのだろうか、とお宝を見る気分でドキドキしながら巾着の中の物を手のひらに出す。

 「これ、昔の小判じゃないですか!?」

 そこから出てきたのは、歴史の教科書や博物館で見たことがあるような金色の小判が何枚も姿を現したのだ。ずっしりとした金の重さと綺麗に光る黄金色に、紅月は唖然として言葉を失ってしまう。

 「昔、俺の神社に参拝客が多く、祭りなどやっていた頃は賽銭も多くてね。金を持ってる殿様たちも来た事があるんだ。俺は金も使わないから、そのままだ。まだ欲しいなら、他にもあるぞ」
 「い、いらないですよ!?こんな大切なもの。お気持ちだけで十分です」
 
 神様への感謝と願いを叶えるためのお賽銭。沢山の人々の気持ちがこもったお金だ。使えるはずない。
 慌てて断ると、矢鏡は残念そうに顔をしかめた。

 「何だ、夫婦なのに遠慮はいらないのだ。俺が、神として働き人間から貰ったものだ。人が働いてお金を稼ぐのと何が違うのだ?」
 「そ、それはそうなんですけど」
 「2人で暮らすための部屋を借りるだけだ、受け取っておけ」
 「わ、わかりました!それでしたら、たぶん1枚で十分なので。考えておきます」
 「あぁ、頼んだぞ。さぁ、飯にしよう。紅月の手料理だな」

 一晩ですっかり狭い部屋に慣れたのか、キッチンの方へとウキウキとしながら歩いていく矢鏡を見送りながら紅月は思わず笑みをこぼす。

 出会ってすぐに交わした結婚生活だが、こうやって笑えていることが不思議で仕方がなかった。
 けれど、これも縁なのだろう。

 神様のお嫁は、どんな生活が待っているのか。
 今はただ目の前の事を楽しめればいい。そう自分に言い聞かせて、呪いがあるという心臓部分を服の上からギュッと握りしめたのだった。


< 11 / 136 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop