3次元お断りな私の契約結婚
「杏奈」

「なに」

「俺今から結構引く話すると思うけどいいか」

「別に普段から巧には引いてるから大丈夫だよ」

 私が言い返すと、こんな時だというのに巧はぶはっと吹き出して笑った。笑顔を見たのは久しぶりなきがして、つい私の頬も緩んでしまう。

 どこか子供みたいなくしゃっとした顔で笑った巧は、少しだけ緊張がほぐれたような顔で足を踏み出した。

「俺の部屋、いけばわかる」

 その言葉を聞いて目が点になる。

「……へっ!」

「こっち」

 お互いの部屋は出入り禁止。契約した時に書いてあった条件。私にとってもかなり嬉しい条件だったから今でも鮮明に覚えている。

 その巧の部屋に……?

 オロオロと慌てる私をよそに、彼はリビングの扉を開けて廊下へ出た。私は慌ててその後を追いかけた。

 廊下を出てすぐにある巧の部屋の前に二人でたつ。私がチラリと顔を見上げると、彼はもう腹を括ったような顔をしていた。

「開けて」

「え、私?」

「開けて」

 言われた通りおずおずとドアノブに手をかけて開く。私の部屋と同じ間取りの部屋が見えた。

 広々とした部屋には大きな窓に広いクローゼット。だがその広さを無駄にしていると思うほど彼の部屋は物が少なくて閑静だった。仕事用デスクにベッド、難しそうな本が並んだ本棚のみ。テレビだのクッションだの夢の世界だのと溢れている私の部屋とはまるで違った。

 そんな部屋に、完全に浮いているものが一つあった。未だ一度も着ているところを見たことがないおにぎりTシャツが一枚掛けてあったのだ。なんでこれだけクローゼットから出してるんだ、一気におしゃれな部屋がアホっぽく見えるじゃないか。

「物ないんだね巧の部屋」

「普通だろ」

「で、この部屋が何?」

 私がキョトンとして尋ねると、彼は気まずそうにある場所を指さした。それは彼の仕事用デスクだった。

 首を傾げながら部屋に足を踏み入れてデスクに近づいていく。一台のノートパソコンが置かれているだけの片付いたデスクだ。

 至って普通のデスクだけれど、何が……

「ん?」

 近づいてよく見てみると、シンプルなデスクの上に水玉模様が目に入った。それはクリアファイルに入れられて、パソコンの隣に置かれていた。白い背景にピンク色の水玉模様。どこか懐かしさを感じる可愛らしいデザイン。

 私は何気なくそれを覗き込んだ。水玉模様の紙はぐしゃぐしゃになった跡が見られる。それを丁寧に伸ばしてファイルに仕舞われている。

 ほとんど消えかかっている鉛筆の文字が少しだけ見えた。


『たっくん ひっこし  も、元気で てね』……




「 !! 」

 はっと息を呑んで両手で口を覆った。全身に鋭い電流が走ったかのような感覚に陥り、そこから一歩も動けなくなった。

 待って。

 待ってほしい。

 この手紙、もしかして……

 頭がぐるぐると混乱する。眠っていた記憶を必死に起こそうと考える。

 私は知っている、この拙い字を。

 でもどうして? どうして……

 私はゆっくり振り返って巧をみた。彼は気まずそうに両手をポケットに入れたまま床を見つめている。

「ねえ、これ……」

「覚えてるか」

「覚えてるかって……」

 それは私の幼き頃の思い出。少し苦くて悲しい思い出。

 小学生の頃引っ越しをすることが決まり、同じ塾に通う好きな男の子に手紙を書いた。ラブレターと呼ぶほどのものでもなかった、それでも子供ながらに緊張して鉛筆を握ったことは覚えている。

 帰り道それを渡した。だがどうしても二人きりになれるタイミングはなかったので、周りに友達がいる中でのことになってしまった。



『なんだよこれいらないし』



 彼はそう言って、私の手紙をくしゃくしゃにして道端に捨てた。今考えると、異性から手紙を貰うなんて場面を友達に見られたことが恥ずかしかったに違いない。

 でもやはり当時の私はあまりにショックで泣きながら家に帰った。直後近所に住んでいた麻里ちゃんに『これでも見て元気出して!』と見せられた二次元にどハマり。立派なオタクが仕上がったのだ。つまり三次元に興味なくなったきっかけだ。

 目の前にある水玉の便箋は紛れもなくその時のものだ。さすがに間違えるわけがない。
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