すべてが始まる夜に
この白石茉里(しらいしまり)は、俺が4月に東京本社の事業戦略部に赴任してきてからの直属の部下だ。小さな顔にくりんとした二重の目。美人というよりは可愛らしい顔をしていて、男の庇護欲を掻き立てられるようなおとなしくて清楚な女性だ。

この半年間彼女の仕事ぶりを見てきたが、仕事は丁寧にきちんとするし、性格は真面目だし、面倒見はよい。同年代の女性とは違ってとても落ち着いている。そして部内が円滑に回っているのも、彼女が緩和剤となって動いてくれているのが非常に大きい。俺としても赴任してきてから今日まで彼女の存在にかなり助かっている。

同じ事業戦略部の部下で白石と同期の吉村(よしむら)はきっと彼女のことを気に入ってるんだろうということは見ていて把握している。
おそらくこの白石は気づいていないだろうけれど。

そんな部下である白石に情けない姿を見られたこともあり、俺は彼女を利用したにもかかわらず、早くこの場から逃げ去るように彼女に気をつけて帰るようにと告げたあと、「じゃあ、またな」と彼女に背を向けて歩き始めた。

今日は本当に散々な1日だったな。
早く記憶から消してしまいたい。
どこかで酒でも飲んで帰るか。
それとも、さっさと家に帰ってやけ酒でもするか。

こうして酒に逃げようと考えているところをみると、自覚はないが結構ダメージを受けているようだ。

別にセックスが上手いだなんて思ってはなかったけれど、それなりに満足させていると思っていたのに、あんな大勢の前で自己中で下手だと言われるとは。

ほんとに俺のセックスは下手なのだろうか。
もしかして今まで付き合った女もそう思っていたのか?

そんなことを考えながら歩いていると、後ろから「松永部長」と呼ぶ白石の声が聞こえた。

んっ? 俺か? と後ろを振り返ると、白石が俺の前まで小走りでやってきた。
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