あなたの隣を独り占めしたい（続編まで完結）

１．

追い討ちの傷

　今時、失恋なんて珍しくもない。
　問題は私がもうすぐ３０歳になってしまうということだ。１０月１０日は私の誕生日だけれど、その日を一緒にお祝いしてくれる人はもういない。

（家族にも婚約者がいることを匂わせてしまってたのに……）

　夏に入った頃からデートの回数が減ったなぁと思っていた。会ってもどこか上の空な彼に不安を覚えていた矢先、唐突にメールで婚約破棄された。理由は『特にないけど、なんとなく』という納得のできないもので、別れて一ヶ月以上経った今も私の心は癒えないままだ。


「美島くん、栞のこと嫌いになったわけじゃないと思うけどなぁ」

　同期で最も仲のいい雅美が精一杯の励ましをしてくれる。
　私がいつまで経っても元気を取り戻さないので、同期の女性二人が私を囲んでランチ会を開いてくれているのだ。
　気持ちは有り難いけれど、早く立ち直れと言われているようで、どことなく息が詰まる。

（嫌いじゃないのに別れたいなんてことあるかな）

「まあでも、会社も一緒なのに顔も見ないで別れるのはちょっとひどいよね」
「でしょ？」

　ふうと息を吐いて、減らないパスタを何度もフォークで巻き直す。

「どうしたら忘れられるかなぁ」
「そりゃ、次の恋でしょ！　新しい恋で元彼を上書きしちゃいなよ」
「上書き……うーん、私ってそう簡単に異性を好きになれないんだよね」

　熱しにくく冷めにくい。これが私の性質で、余計今回の失恋を辛いものにしている。すると、雅美は冗談っぽく笑って身を乗り出した。

「レンタル彼氏っていうのもあるよ。私も一度利用したけど、悪くないよ」
「雅美、そういうの利用してるんだ」
「一度だけだってば！　結構優しく寄り添ってくれるし、私は癒されたかな。正式な恋人ができるまではそういうの利用するのもありかもよ」
「仮の彼氏……かぁ」

（立ち直るためのきっかけとしてはありなのかな）

「……槙野さんはさぁ」

　真剣にレンタル彼氏のことを考えている私に、ずっと話を聞いていた坂田さんが口を開いた。彼女の持つ艶のある唇は食事をした後も褪せることがない。サラサラの黒髪を軽く耳にかけ、彼女は私をじっと見つめた。

「美島くんが別れを切り出した理由を知れば、納得できて落ち着けるの？」
「え、納得？」
「うん。私、ちょっとだけ彼から話を聞いたから……」

　彼女は元カレである美島圭吾の事情を知っている様子だ。
　どうして坂田さんがとは思ったけれど、私は頷きながら理由がわかるなら聞きたいと答えて頷いた。すると、彼女は飽くまでも”私のため”という前置きをしてから言った。

「槙野さんのことは『人間として好きだけど結婚生活は難しいかな』……って」
「……どういうこと？」
「夜の生活が満足できない……ってことらしいよ」

　少し言いづらそうにしながらもはっきりと言われ、心臓が嫌な音を立てる。

（つまり……もう女として見れないって思われてたということ……？）

　言われた言葉もショックだが、そんなことを圭吾本人が坂田さんに告げていたということもかなりショックだし恥ずかしさで死にたくなる。

「さ、坂田さん。それ、いくらなんでも栞の前で言う？」

　私と同じくらい青ざめた雅美が、坂田さんに辿々しく苦言を呈してくれたが、言った本人は悪気がないのか不思議そうに首を傾げている。

「だって。本当の理由を知らないと、槙野さんずっと辛そうだから」
「それは……そうだけど」

（言いづらい理由だろうけど、どうしてそんな話を坂田さんに言ったの）

　あまりにショックな話に胸に穴が空いたような感じになり、すぐに言葉が出てこない。
　それでも場の空気が固まってしまったのをどうにかしようと、無理に笑顔を作った。

「や、やー……そうかぁ。エッチできなきゃ、結婚なんて無理に決まってるよね。あはは」
「し、栞。大丈夫？」
「何が？」
「あんた……泣いてるじゃん」
（あ……）

　気づくと両側の頬に絶え間なく生暖かい水分が流れ落ちている。体が条件反射のように涙を溢れさせてしまったみたいだ。
　坂田さんの表情もさすがに曇り、まずいことを言ってしまったという顔になる。

「ごめんなさい。私、無神経なこと言ってしまったよね」
「大丈夫、気にしないで。恥ずかしいなあ、まだ午後も仕事あるっていうのに」

　私は慌ててハンカチで涙を拭うと、顔を洗ってくると言い残してカフェを出た。会計を先に済ませるタイプのお店でよかったなと心の片隅で思う。