あなたの隣を独り占めしたい(続編まで完結)
「まさかと思うけど……あの男の誘いに乗ろうとか思ってないよね」
「だから誘われてたわけじゃないんですってば。謝る機会が欲しいって言われただけです。元サヤとか、そういうんじゃないんです」

(それもを断れなくて困ってたんだけど)

「お前さ……」

 それまで冷静に話を聞いていた佐伯さんが、完全に食事をやめて呆れ顔で私を見る。

「都合のいい女にされかけてるって、わかってる?」
「え?」

 私に謝りたいと言っていた圭吾のセリフから、都合のいい女という発想はちょっと持っていなかった。
 私がゆるゆると首を横に振ると、佐伯さんは深いため息をついた。

「ちょろい女だね」
「……!」
「今の槙野なら、落とし物を拾ってやるだけでも惚れてもらえそうだ」
「そ、そんなこと……」

 ない、とハッキリ言えたらいい。
 圭吾の誘いなんか絶対乗るつもりはないし、誘われたってきっぱり突っぱねると言いたい。
 でも、エレベーターでそれができなかったことが、自信を失わせていた。

(弱った女って、そんなに落としやすいものなの)

 自分がそれほどに安い女に成り下がってい可能性を思うと、悔しさを隠せない。

「どうしてあの男に固執する?」
「固執してるつもりはないです。ただ、私……圭吾しかまともに付き合った男性がいないので」

 そのせいか、圭吾との未来想像図が強烈に焼き付いてしまっている。

「なるほどなぁ」

 ふうと息を吐くと、佐伯さんは口元を拭って私をじっと見つめた。

「俺、自分を大事にしない女って大っ嫌いなんだよね」
「っ!」

 意表を突くような激しい言葉に胸がひゅっと縮む。
 今までが優しい態度だったせいで、その冷たい声は驚くほど深く私の胸に刺さった。

「このままいけば、お前、元カレのせフレさせられるよ」
(セフレ!?)

 あり得ない展開すぎて、私は小さく震えながらもなんとか声を振り絞った。

「……わ、私がどうなろうと……佐伯さんには……関係ないでしょう」
「俺に対しては、はっきりNOが言えるんだな」

 クスクス笑うと、彼は意を決したように頷いて言う。

「しょうがない……付き合うか。俺と」
「は?」

(”しょうがない”って言った?)

「槙野はあの男とは別の男を知った方がいい」

 心配してくれているのかもしれない。
 本当に同情で私と付き合おうとしてくれているのかもしれない。

(でも、ただの部下である私にここまでする必要ないよね)

 明らかにプライベートに踏み込んできている佐伯さんの真意がわからない。

「どうして私にそこまで?」
「ん? そりゃ……槙野が俺にとって気になる存在だからだよ」

 余裕ある笑みを浮かべ、佐伯さんは空になったグラスにワインを注ぎ入れた。
 そしてチラリと私を見ると口角を軽く上げた。

「それとも……君が好きだから、とでも言った方がいい? 男がなくちゃ歩けないような足なら、ずっと支えててあげるけど」
「っ!」

(馬鹿にしてる)

 味方だと思っていた人からの冷遇に、体に冷たいものが浴びせられたような感覚になる。
 でも、それはショックというより”目が覚める”に近いものだった。

(佐伯さんからしたら、いつまでもウジウジしてる私の様子に腹が立ってもしょうがないよね)

「……必要ないです」
「ん?」
「私、知らない間に甘えすぎてました」

(本当に……少しは私を気にかけてくれているのかも、なんて思いそうになってた)

「一人で歩けますので、もう私のことは構わなくていいです」

 膝の上に置いてあったナプキンを畳み、そっとテーブルの端に置いて席を立つ。

「どこへ行くつもり」
「帰ります。お料理とても美味しかったです。これ、おいくらのコースでしたか」
「代金は気にしなくていいよ。これは俺の奢り」
「そういう訳には……」

 万札を置いて帰ろうかとも悩んだが、それも断られる空気を感じた。

(これが最後だろうし、ご馳走になろう)
「……ありがとうございます」

 私は頭を下げた後、そっと佐伯さんを見る。
 それは見慣れた会社での彼ではなく、私がプラベートで知った少し親しみある彼の顔だった。

(好きにならなくてよかった)
「おやすみなさい」
「……おやすみ」

 私が一人で店を出るのを、佐伯さんは止めなかった。
 外は小雨が降っていて、ワインで温まったはずの体もすぐに震えるほど寒くなる。
 急いでタクシーを拾って乗り込み、そのまま静かにアパートへと戻った。

***

 栞が去った後の食卓を見つめ、佐伯は小さなため息を吐いた。

「……俺、一瞬本気であいつを口説こうとしたか?」

 呆れたようにくすくす笑い、グラスに残ったワインを飲み干す。

「槙野にはもっといい男がいるはずだ……俺じゃない男を探した方がいい」

 寂しげにそう呟くと、窓の外に目を向けた。
 小雨の降る道の向こうで、栞の拾ったタクシーがテールランプを点滅させるのが見える。
 それをじっと見つめながら、佐伯はもう一度小さくため息をついた。
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