あなたの隣を独り占めしたい(続編まで完結)
「なるほど……そういう事情だったか」

 黙って聞いてくれていた佐伯さんは、納得したように頷いた。

「すみません……こんなプライベートなことで、ご迷惑ばかりかけて」
「謝るのはおかしいでしょ。プライベートのない人間はいないんだし」

 責める様子もなく頷いてくれたのに安心し、私は肩に入っていた力を少し抜いた。

「聞いてもらえて、少しほっとしました」
「辛かったな」
「……はい。やっぱり、性的な部分が理由だったのはどうにも……辛かったです」
「そこだよ」

 佐伯さんは眉間に皺を寄せ、嫌悪するような表情を浮かべた。

「体が合わないってことはあると思うけど、それを他人に言う神経はわからないな」
「そうですよね」
(私もそこは未だにどういうことなのかって思う)
「で、そいつから受けた傷から立ち直れてないってこと?」
「うーん」
 
 傷が辛いのはもちろんだけれど、本当に辛いのはそこじゃない気がした。
 浅い眠りの中に現れる優しかった頃の圭吾を思い出すのが辛い。
 気がつくと、彼との思い出が胸によぎるのが辛い。

「こんなになっても……彼を嫌いになれないのが……辛いですね」
「……」

 佐伯さんは、驚きというよりは半ば呆れという感じで私を見る。

「まだ好きなの?」
「自分でも呆れますけど……そうなんだと思います」
(言ってて、自分でも呆れる)
「なるほどね……」

 佐伯さんは一旦天井を仰いだあと、私に視線を戻してズバリ言い切る。

「俺の想像だけど。その男、ものすごいロマンチストだったでしょ」
「あー…確かに、そうですね」
(誕生日には11本の薔薇の花束をくれるのが習慣だったりね)

 11本の薔薇には”最愛”の意味が隠れているのを知ったのは、付き合って2年目だった。
 それを知った時は本当に嬉しくて、幸せだった。 

「で、ちょっと情けなくて母性をくすぐるタイプ」
「っ、そうです」
(すぐに私を頼ってくるのが、年下らしくて可愛かった)
「今でも槙野は、そいつが何か困ってないか心配してない?」
「……っ」

(どうしてそんなところまで分かるの)

 顔を赤くしていると、佐伯さんはは洞察力が長けているのは子どもの頃からだと話してくれた。

「俺の実家は旅館をやっててね。店には入れ替わり立ち替わり、いろんな人が出入りしてた。親と客のやりとり、他愛ない雑談。そういうのを見ているうちに人間にはどういう種類がいるのかわかるようになったんだよ」

「……そうだったんですね」
(私もそういう人を見分けられる人間だとよかったな)

 そう思う私に、佐伯さんは不思議なことを言う。

「でも一つだけわからない種類の人間がいた。槙野みたいな、辛い目にあっているのに相手に愛想を尽かさないタイプ」
(愛想を尽かさないタイプ……)
「私、佐伯さんにはそんなふうに映ってるんですね」
「一途だなって思うよ」
「一途なんて……そんな素敵な感じじゃないですよ」

 私の場合、この感情は未練だと思っている。
 悔しくて、惨めなのに、ふとした瞬間に思い出して恋しくなったり。
 坂田さんに打ち明けた話も、ショックはあっても責める気にはなれなかったり。

(改めて考えると、本当に馬鹿だな……)

「なんで……私、こんなに……未練がましいんでしょうね。もう忘れたいのに……」

 ぼろぼろとこぼれる涙をそのままに胸の内を吐き出すと、佐伯さんは私の背中をそっと撫でた。
 手のひらの温もりが伝わってきて、じわっと胸の奥に沁みる。

「槙野の体がその男を覚えてるから。そいつと体験した色んな嬉しいことを記憶してるから……苦しいんだろうな」
「……かもしれないです」

 圭吾のことは本当に好きだった。
 この人と一緒なら、絶対に幸せになれるって思った。

 辛いこともあったはずなのに、今は幸せだった頃の記憶ばかりが蘇る。
 だから、突然の別れが受け入れられないのだと思う。

「苦しいなら、無理に忘れなくていいんじゃない?」
「え……」
「好きだと思う気持ちは槙野の中にあるんだから。否定からは何も始まらない」
「……」
(こんな風に言ってくれる人、初めてだ)

 立ち直れない自分を許された気がして、今までにない安堵感が胸に広がる。

「好きなままでいい……んですね」
「うん。俺はそういう女性に出会ったことがないから、むしろ羨ましい」

 佐伯さんはそう言って私の横に座った。
 ベッドのスプリングが軽く軋んで、彼がつけている淡いコロンの香りが漂う。

(佐伯さんみたいな人に羨ましいって言われると、不思議な感じだな)
「でも……忘れずにいたら。いつまでも辛いです」
「辛さも体の記憶だからな。傷つけられた部分を、心地いい記憶とすり替えたらいいんじゃない」
「そんなこと、できますか?」
「できるよ。例えば、別の男と肌を合わせてみる、とか?」

 そう言って目を細める佐伯さんの表情に、初めて鼓動がどきりと音を立てた。

「別の男って……」
「嫌ならすぐやめる」

 慣れた手つきで私の頬に手をかけると、首筋にそっとキスをする。
 久しぶりに感じる自分以外の温もりに驚き、びくりと肩が跳ねた。

「まだ調子悪い?」
「い、いえ……もう体調は悪くないです」
(泣いてスッキリしたのもあるし、佐伯さんに触れられて心地いいとすら思ってる)
「調子悪くないならよかった」

 安堵の表情を浮かべ、さらに耳の裏に唇を這わされる。
 思わず声がもれそうになって、口を塞いだ。

「……っ、や……」
「……本当に嫌?」
「……」
(自分でもわからない)

 流されてしまうのはダメだと思うのに、抵抗することができない。
 今体を走っている甘い痺れの延長を知りたくなってしまう。

(これって受け入れてるってことなのかな)

 私の心を見抜いているのか、彼は遠慮なく私をベッドに押し倒した。
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