極上御曹司は懐妊秘書を娶りたい
「あら、社長が爽やか~に挨拶するのなんて珍しいもの。紗世ちゃんの反応は何にもおかしくないわ」
「君な……」
 ふと、私の後ろから聞こえてきた声に城阪社長が露骨に顔をしかめる。城阪社長がそんな顔をするのは、『彼女』にだけ。
「恵美子さん、おはようございます」
 振り返りながら挨拶をすれば、私の後ろには予想通りの人物が立っていた。「紗世ちゃんおはよう」なんて美しく微笑む彼女は、私と同じく社長秘書を務める先輩、月村恵美子さんだ。
 日本人離れした美貌とプロポーション、仕事の腕も確かで周囲からの信頼も厚い。私にとっては、昔ブラック企業に勤めていたところを半ば無理やり引き抜いて救ってくれた恩人であり、尊敬する人。
 それから、――――城阪社長とずっと二人三脚で会社を盛り立ててきたパートナーであり、彼と『良い仲』であると長年噂されている相手でもある。
「金曜日のパーティー、大丈夫だった? 急に代役押し付けちゃったけど……」
 長い睫毛に縁取られた、美しい瞳が私を見遣る。『パーティー』という言葉に過敏に反応した心臓が、馬鹿正直に跳ね上がる感覚。
「……っ、はい。問題ありませんでした」
「そう? 社長目当てのどこかのお嬢さんに意地悪されたりしなかった?」
「月村。無駄口叩いている暇があったら仕事を始めろ」
「はいはい」
 笑いながらひらひらと手を振った恵美子さんに、城阪社長が大きく溜息をつく。二人のこうしたやり取りは、お互いを信頼し、分かり合っているからこそできるような気安いものだ。だからこそ、傍で見ていると二人の絆を見せつけられているような気分になってしまうのだろう。
 恵美子さんはすごい人だ。どんなときでも仕事に手を抜かないし、自分磨きにも余念がない。実家は城阪財閥と並ぶほど由緒正しい家で、城阪社長とは美男美女、家柄も釣り合ってとてもお似合いに見える。実は会社に入る前からの仲らしく、婚約者同士であるという噂もあった。
 こんな人に、勝てるわけがない。それに、もし本当に恵美子さんが城阪社長を想っているのなら、私はそれを邪魔したくない。それぐらい、私にとって恵美子さんは大切な恩人なのだ、――――それなのに。
「……紗世ちゃん?」
「っは、はい。すみません、私も仕事を……」
「いえ、そうじゃなくて……顔色が悪いわ。大丈夫?」
 恵美子さんが心配そうな顔でこちらを覗き込む。まるで妹でも見るかのような視線に、自分の中の罪悪感がどんどん膨れ上がっていった。
 城阪社長への恋心を貫くような度胸もなければ、恵美子さんを純粋に応援できるほど無欲にもなり切れない。私はどっちつかずの卑怯者なのだと、あの一夜で思い知ってしまった。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ」
 だからこんなふうに心配してもらう資格なんて、ないのだ。
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