sugar spot
#5.「天敵に後ろを見せたら、捕獲される」


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今、顔を合わせるのが世界一気まずい人間と、
同じオフィスの、しかも同じフロアで、働いている。


「……どうしよ、」

はあああ、と嘆く息を吐き出してばかりで、
身体が全く動かない。

一階のエレベーターホール近くに設置されたソファに縮こまって座って、記憶を掘り起こしては身悶えして走り出したくなる、を繰り返している。


"俺はもう、我慢すんのやめる。"


先週の展示会でのことは、あの能面からの言葉を含めて、土日を挟んだ月曜の今日も、全く忘れられそうに無い。
受けた言葉も、それから自分の行動も、思い出したらぶわっと顔色に赤みが差す。


キス、してしまった、紛れもなく。


ちょっと間違えましたでは済まされない。
だって、一回きりじゃ無い。

両手で顔を覆っても、恥ずかしさが溢れ落ちる。


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『…お前、今から飲み会?』

『…あ、うん。打ち上げが、ある。』

暫くしてやっと唇を離した男が、
至近距離で私に問いかけた。

待って、私達は今、何をしていたのかと、
振り返るのがあまりに怖くて、ただ能面の問いかけに従順に答える。

『酒、飲むなよ。』

『…トレーニング中なのですが。』

『何?』

『だから、お酒飲めるようになり…っ、』


なりたいと、最後まで言わせてくれない。
言わせる気も、無かった気がする。

散々重ねてきたくせに、かぷりと甘くまた噛みつかれて、熱があるせいなのか自分より幾分高い温度を保つ唇に頭がぴりぴりと痺れてきた。


もう本当に、これ以上はまずいと、
自分の中で警鐘が鳴り響く。

断ち切るようにトン、となんとか男の胸元を一度叩いたら、何故だか満足気に口端を上げる男が見下ろしていた。

いつもより幼いその表情に、睨むだけで何も言えない私に、勝敗はとっくについている。




結局、展示会後の飲み会では、
別にあの男と話をしたからとかでは無いけど、
オレンジジュースを飲んで終わってしまった。


だけどこれからきっと、
取引先との飲み会を含めた交流は増えていく。

ちひろさんと仕事をしてきた人達が、何の経験も実績も持たない私をどう思うかなんて、分かりきっている。
お酒の席くらい、スマートにあの人らしく対応出来ればと思う気持ちは、やはり変わらない。


だから、トレーニングは続けていきたいのに。


「あの能面、ほんと、許さない。」

「___何が。」

「…っ、!?」

なんてことをしてくれたのだと、責める気持ちを最大限に乗せて1人で呟いた筈なのに。

予期せぬ返答を受けて、振り返りながら身体のバランスを崩した。


「……朝から何してんの。」

「…あんた、なんで、」

そのままソファから落ちそうになる身体を、片手で肩に手を回して支えてきた男が冷めた眼差しを私に向けていた。


あっという間に近づいた距離も、自分とは違う、だけど嫌な感じがしない柔軟剤の香りも、全てが先週のあの時を思い出す引き金になる。


視線を重ねた瞬間、またぶわっと赤くなる顔を自覚して、慌てて立ち上がった。
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