ここではないどこか

「誰にもバレないように」
「わかってます。もう何度目?」

 俺は少しでも長く甘い空気の中にいたいのに。姉さんは先程から約束ごとを何度も繰り返した。

「だって、透って自分で思ってるよりずーっと、顔に出るんだよ?」
「それ仁くんにも注意されたことあるわぁ」
「もうっ、何呑気なこの言ってるのよ!?」
「姉さん、しーっ!」

 ヒートアップした姉さんの唇に人差し指をあてる。「父さんたちもう帰ってきてるからね」と咎めるためにあてた人差し指。違う。ただ俺が触りたかっただけだ。

「……ごめん」

 顔を赤らめた姉さんが「でも、本当に気をつけようね」と念押した。

「はい。わかってます」

 頷いて先程した約束ごとを復唱した。

「意味深に視線を合わせない」
「不必要にボディタッチしない」
「嫉妬心を表に出さない」
「俺と姉さんはただのきょうだい。守れます。誓います」

 得意げに微笑むと、姉さんは安心して頷いた。

「もしもバレたら、私たちきっと離れなくちゃいけない」

 そんな日を想像しているのだろうか。姉さんの瞳に薄っすらと涙の膜が張った。「そんなことさせない。大丈夫だよ」と瞼に口づけを落とせば、姉さんが笑う。それだけで俺は何者にでもなれる気がした。

「あと、最後に。透はお仕事を優先してね」

 忙しくなるであろうこれからを心配してくれたのだろう。

「うん、ありがとう。けど、姉さんは姉さんだから。……そういや、家族に会ってるところを週刊誌に撮られても困らないよな」
「そうだね。家族だからね」
「堂々とデートできるじゃん!」

 嬉々とした俺に姉さんは大きなため息をついた。

「それぐらい喜んだっていいだろ。姉さんと家族になったことを初めて心の底から喜べたんだから」

 不貞腐れた俺の頭に手を伸ばした姉さんが髪を梳く。その手がこめかみまで滑り、姉さんの親指がやわやわとそこを撫でた。
 今世界が滅びてもいいと思った。姉さん、姉さん。俺の愛しい人。
 髪の匂いも抱きしめた体温も、囁く愛の言葉も知れた。次はなにを俺にくれるのだろう。俺はこの人になにをあげられるのだろう。
 細められた目が愛してると言っている。触れた親指がずっと一緒だと言っている。
 俺はこの夜を一生忘れない。死ぬ間際まで擦り切れるほど思い返してやる。
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