ここではないどこか

 激しく踊りながら、ペロリと下唇を舐めた透がバックスクリーンに映し出されると、女の子の黄色い歓声があがった。
 あれだけ、やめなよ、と注意していた癖も彼を魅力的にみせているのだから笑ってしまう。
 想像していたよりもずっと冷静に見れている自分に、私が一番驚いていた。だって、私はアイドル黒岩透を知らない。あそこで妖艶に微笑む彼はもう私の知っている透ではなかった。
 
 センターで踊る瑞樹くんから感じる覚悟に圧倒される。まだ21歳の彼は私よりも随分と大人だ。
 しかし透とは対照的に、瑞樹くんはどこまでいっても私の知っている瑞樹くんだった。
 この3年、私を支えてくれていたのは瑞樹くんだったのだ、と改めて悟った。
 私は点けていなかったペンライトを赤色に変えた。もうルージュは握らなくても平気だ。
 だって私は手の中を空っぽにして、彼からの愛を受け止めたいのだ。


 3時間にも及ぶライブはアンコールを残すのみになっていた。会場を「アンコール」の声が包む。その声に押されるように出てきたメンバーたちに一際大きな歓声が巻き起こった。メンバーたちが順に感謝の言葉を述べていく。

「今日は本当にありがとう。俺の幸せはここにあるよ」

 最後にそう言った透は花が咲いたように笑った。大丈夫だ。透が幸せだと言っている。それ以上に私が望むことなんてあるのだろうか。執着塗れの醜かった恋心も白を足せば少しは救われるかもしれない。
 ここに捨てていこう。もう誰にも触れられないように。私も触れないように。
 幸せになって。ここで。他のどこでもない、この現実で。

「アンコールは絶対にこれって決めてた。俺が初めて作詞をして、この前発売されたばかりの曲」

 透の声に被さって前奏が流れだす。明るく、爽やかで、この世の光を集めたようなメロディラインだ。

「ここではないどこかへ」

 そう言った透の顔は私の愛した彼そのものだった。
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