こころ
2月下旬、侑李は横になっている事が多くなった。座っているのも辛いらしく、もちろんクリスマスの日に送ったプレゼントもできないぐらい、ずっと眠っていた。

「··········お姉ちゃん··········」

弱々しく呼ぶ侑李。


「ここにいるよ、大丈夫だよ」

そう言うと、弱々しく笑う。


「眠たい?」

「·····うん」


瞼を閉じる侑李の頭を撫でる。


「お姉ちゃん·····、起きてもいてね·····。おねがい·····」

「うん、いるよ。ずっといる」

「·····ありがとう···············」


侑李自身も怖いんだ·····。
そんなの当たり前·····。

自分で、体が良くないと分かっているから。


「眠るのが·····怖いよ··········」


どんな思いで、侑李は言ったのだろう。


いつもいつも笑顔だった侑李。
侑李が弱音をはくなんて、今まで無かった。


「大丈夫·····、絶対に起こすから。ずっといるからね·····」


侑李が泣いていないのに、私が泣くわけにはいかず。

やはり眠る事が怖い侑李は、眠りが浅いのか、すぐに目が冷めてしまう。


もう、限界だと思った。
侑李に限界が来てるのだと。






帰り道、バイト中だと分かっているのに、電話をかけた。こんな事、邪魔をしないようにといつもはしないのに。

『もしもし』

休憩中だったのか、電話はすぐに繋がって。


「お兄ちゃん··········」

『どうした?·····何かあったか?』

兄の声を聞いた瞬間、涙が出た。



「侑李が··········、眠るのが怖いって··········」

『··········』

「怖いって·········」

『··········』

「初めて·····言ったの·····。·····も、どうしたら·····いいか·········」

『··········分かった、母さんに電話する。明日、来てもらうようにするから』

「お兄ちゃん········っ·····」

『密葉·····、1人で帰ってこれるか?まだ病院か?』

「いまっ、·····出たとこ·····」

『迎えに行くから、待ってろ。絶対動くなよ』

「お兄ちゃん·····、バイトは·····」

『早退する、すぐに行くから』


正直、涙が止まらない私は、動くことが出来ず。
兄が来るまで、しゃがみこんで泣いていた。



侑李があんな事を言うなんて。
相当、辛くて·····。
辛くてたまらないはず·····。


それを今日まで我慢してた。侑李は弱音を吐くことなんて、しなかった。どれだけ酷い発作が起こっても、「怖い」という言葉を口にしなかった。

それなのに··········。



嫌だ、死んで欲しくない··········。

ずっと生きててほしい·····。

大事な大事な弟··········。



いつから、カウントダウンは始まっていたのだろう。


部屋へ籠る私に、兄は何も言わなかった。

いつもの時間にスマホが鳴る。

きっと和臣·····。

でも私は、その電話に出ることができなかった。付き合ってからは必ず出ていた電話。


学校にも行けなかった。
侑李が辛い思いをしているから、私だけ学校に行ってはいけないという考えじゃなく。ただ、侑李が死ぬと思ったら、何もする気が起きなかった。



朝イチに、両親は帰ってきた。


「密葉、話があるの、大和も下にいるから、いらっしゃい」


二階にある部屋に来た母は、そんな事を言って。
何もする気が起きず、昨日からずっと未だに制服姿だった私は、制服のリボンだけを外し下へとおりた。



「密葉、こっちに来て」


シーーーンとしているリビングに、母の声だけが耳に届く。言われるとおりにソファに座る母の横に腰かけた。


「密葉、さっき少し、大和にも話したの」


話?
何を·····?


考え込むように私を見つめる父、そして複雑な表情をする兄·····。


「侑李の病気に詳しい先生がね、外国から来るみたいで」


侑李の病気に?


「侑李を、その先生が来る病院に転院させようと思ってるの」


転院·····。


「そこの病院が、お母さん達の今住んでいる場所の近くでね」

お母さん達の近く·····。


「密葉はどうしたい?」

どうって何が·····?


「密葉は、ここに残りたい?」

ここに·····?


「向こうなら私達もいるし、もう密葉に任せっきりじゃなくて済むから·····」

任せっきり·····。


「ここはお爺ちゃん達が残してくれた家だし、家賃の心配もいらない。お金のことは大丈夫だから」


大丈夫だから?
大丈夫だからってなに·····。


さっきから何を言ってるの?

母の言っていることが、分からない·····。


「密葉、密葉には学校もあるし。友達だっている。密葉の好きにしなさい」

父が私を見つめて言うけど、好きにとは·····。



「それって、今すぐの話?」

横で兄が呟く。


「学校の転入手続きもあるし、早めの方がいいわ」

「だから、早めっていつまで」

「長くて1週間ぐらいかしら。それまでに、侑李について行くか決めて。お母さん達としては、家族みんなで暮らしたいと思ってる」


家族みんなで·····。


「その先生に診てもらえば、侑李の病気治んの?」

「それはまだ分からない、今侑李のカルテを外国に送ってるの。でも、今の現状を考えれば転院した方がいいでしょう」

「それもう決まった話?転院は確実なのかよ」

「病院の方には話は通してるわ」

「じゃあ、治らなかったら?治らなくても侑李はずっとそっちに住むってことか?」

「そうね、そうなるわね」

「戻ってくることはねぇのかよ」

「侑李の病気が治って、ひと段落して、もう全てが終わったら戻ってくるかもしれない」


··········かもしれない。
兄と母の話をただ聞くだけしか出来ず。


「俺は·····、侑李の傍にいてやりたいと思ってる。けど、まだ考えたい」

「分かった、密葉はどうする?」


父に問いかけられるけど、


「··········」



何も、言えない。


侑李について行くか。
ここに残るか。


数ヶ月前までは「ついて行く」と言っていた。多分、ううん、絶対に数秒で決めることができた。

でも、今は·····。
侑李と同じぐらい、大切に思ってる人がいる。


侑李について行く。

それは和臣と離れるということ·····。


あんなにも大好きな和臣と?
離れる?
想像もつかなったこと·····。
侑李はずっと、生まれてからずっと今の病院だった。転院なんて考えたこともなかった。


1週間までに、答えを出さないといけないらしく。そんな短い期間で、答えを出せと?



その日の夜、侑李のお見舞いに行った両親は、帰っていき。


私はリビングのソファに座りながら、ぼんやりと母と父の言った言葉を思い出していた。



「密葉、冷凍パスタでいいか?飯」

キッチンで何かを言う兄の方へと顔を向ける。


「フジのこと考えてんのか?」

和臣·····。


「·····今日のこと、フジには俺が言おうか?」

今日のことを·····。
和臣に?
なんて言うの?


「·····密葉が残りてぇなら、残ればいい。母さん達もそう言ってたしな」


兄が電子レンジで、皿に移した冷凍パスタを温めていて。

「怖い」と言っていた弱々しい侑李を思い出す。


「··········お兄ちゃん·····」

「うん?」

「·····」

「どうした?」

「私·····、昔の私なら、絶対に行くって言ったの·····。侑李が大切だから、ずっと一緒にいたいから」

「そうだろうな」


解凍が終わったパスタをカウンターの上に置く兄を見つめて·····。


「けど、私·····、さっき、行きたくないって思ったの·····」

「·····密葉」

「侑李より、和臣を優先した·····ッ··········」

「んなの、仕方ねぇだろ。俺だって迷ってんだし。密葉だけじゃねぇよ」



違う、そうじゃない·····。

私は自分の事を、優先したの。
ずっと守っていきたい、侑李のためなら何だってするって誓ったはずなのに。

あんなにも「怖い」といった侑李を見たばかりなのにっ。


「·····密葉?」

遠くに行ってしまう侑李をほっといて、私だけが和臣と一緒に幸せになる?


「おい、どうした·····?」


カタカタと手足が震えてくる。
ああ、前と同じだ。
和臣に怪我をさせてしまった時と同じ·····。

そう思った瞬間、真っ赤な血を思い出した。


「おいっ、密葉!」

カタカタと震える体は、押さえることが出来ず。


「侑李·····ッ、ごめんなさ·····、あたしっ、あたし·····!!」


呼吸が上手く出来ない。必死に吸おうとしてるのに、上手く吸えない。吐くこともままならない。

あんなにも苦しんでいる侑李と、一瞬でも離れようとしたなんてっ。

そばにいてねって、言われたのに·····!!


「落ち着け、どうしたんだよ密葉」

兄が尋常じゃないぐらい震える私の前にしゃがみこみ、私の名前を呼ぶ。


「あたしっ·····、なんてこと·····」


豹変した私を見て目を丸くし、「待ってろ、フジ呼ぶから。落ち着け」と、当たり前のように和臣の名前を出したことに、動悸が酷くなった。


和臣を呼ぶ?

ここに?


思い出すのは、赤·····。真っ赤な血·····。



「呼ばないで!!!!」

「密葉っ」

「呼ばないで!! お願いっ、呼ばないで!!!!」


必死に懇願する。
もう、和臣を傷つけたくないから。



「いやっ、も、いや·····っ。いやぁ·····!!」

「密葉っ」


両手で頭を抱えた。
けど、真っ赤な血は消えない。

侑李がああなったのも私のせい。
和臣が怪我をしたのも私のせい。


全部私がっ·····。

「密葉っ!フ、フジ、俺だけど密葉がっ·····、多分前言ってた·····、おい、やめろっ。密葉、頼むから落ち着けっ、密葉!」


侑李·····、侑李のところに。
謝らないと。
お姉ちゃんも行くからねって。

私の時間は、侑李のものなんだからっ。


寝るのが怖い侑李。
じゃあ私も寝ちゃいけない·····。

侑李が死ぬ時は、私も一緒だから·····。



「聞いてんのかよっ」


兄が私の腕を掴む。




でも、もし侑李を選べば?
和臣は?
和臣はどうなるの?

もう戻ってこないかもしれないのに。

そうすれば、和臣は他の人と·····?
私以外の女性に·····?

あんなにも優しい声を出すの·····?


離れたくない·····。


ああ、また私は·····、離れたくないなんて·····。自分だけ幸せになろうと·····。



どれだけ叫んだか分からない。


「密葉」


体の震えがおさまらない。


「俺の方見ろ」


誰かが私の手を掴む。


「密葉·····、大丈夫だから。力緩めろ」


━━━━━━私の大好きな声がする。


「密葉」


誰かが、ゆっくりと私の掌を開く。


「密葉、俺を見ろ。分かるか?」


漆黒の瞳が、私を見つめる。
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